今の燕市吉田地区、粟生津村にあった私塾「長善館」の偉功を伝える長善館史料館(吉田勝館長)が保存する中国文学研究者、鈴木虎雄(1878-1963)の史料などを調査、研究するため、その量と内容を把握しようと燕市教育委員会は27日、筑波大学大学院の中野目徹教授を同史料館に招いて史料を見てもらった。
中野目教授は助手と2人で訪れ、吉田館長が虎雄関連の資料を示した。これまでファイルなどに整理した封書が555点はがきが198点、軸や額が330点。ほかに写真や中国、欧州へ渡ったときのポストカード、さらに未整理の封書も数多くあり、合わせてざっと1,500点にものぼる。
中野目教授は「観光客を呼ぶような施設にはならないだろう」とみる一方、「新しい燕の将来を担う子どもたちの教育とセットで考えればいいんじゃないか」と提案。保存機能の充実と展示スペースのリニューアルの2つが必要で「できれば研究施設もセットで」という構想も示した。
いずれにしろ、史料の総目録を作成する必要があるが、大学では授業で日本史実習があり、学生と史料の目録をとり、史料を整理すれば市の負担にもならず、「せひ学生を連れてきてお手伝いということでやりましょうか」と前向きだった。
虎雄は長善館の二代目館主、鈴木てき(りっしんべんに“易”)軒の八男。京都大学の助教授に就任する前に1年足らずだが筑波大学の前身の前身、東京高等師範学校で講師、教授を務めたこともあり、今も筑波大学には虎雄の史料が残っている。
中野目教授は虎雄の研究者であり、昨年11月、遺族が開いた虎雄の没後50年の懇親会に鈴木力市長、藤沢健一教育長、吉田館長らとともに招かれた。そこで虎雄の史料もいくつか持参し、鈴木市長からも史料の調査、整理、保存などに協力を求めたこともあり、今回の中野目教授の来館となった。
史料の整理は同史料館でも独自で進めてきたが、保存方法などは我流で、職員ですべて整理するにはこの先、何年もかかると思われていた。史料の整理は今後の虎雄の研究の礎となるだけに、実現が期待される。