東日本大震災で被災した福島県相馬市へ復旧復興のための応援で派遣され、3月31日で任務を終えた三条市建設課の笹倉健児さん(39)が1日、国定勇人市長に災害応援派遣の報告を行い、資材や人手の不足による復旧の遅れや大勢の人が仮設住宅生活で大変なこと、笹倉さん自身は食事など生活上で放射能についての不安を感じたことはなく「普通の生活」をしていたなど現状を伝えた。
三条市は昨年10月1日から相馬市に2人の職員を災害応援として派遣した。笹倉さんは、3月31日までの6か月間、相馬市の都市整備課に所属し、主に津波で住宅を失った人たちの高台移転のための宅地造成の設計と監督を行った。
笹倉さんによると、復旧は各地で工事が行われているが、工事の労働者や資材の確保が困難で、工事が大幅に遅れているようで、いまだに多くの人が仮設住宅で生活していて大変な状況にある。
子どものいる家庭などは市外へ避難して人口は約1,000人減ったが、近くの火力発電所の復旧などで約4,000人ほどが市内に入っているため、人が減って寂しいという印象はない。市民は「ふつうに暮らしている」といえ、相馬市は漁業が盛んなので原発の影響に心配が残る。漁業関係者は原発さえなければと言うが、そのなかでも相馬市は復興に向けて今後、漁具倉庫を作り、漁業従事者が本格的な元の生活に戻れるように進めている。
自身の仕事では、スピード感のあるスケジュール管理を求められたが、資材や労働力の不足で対応が大変だった。市内には全国約20の自治体から職員が派遣されている。対応したことのない復旧復興の仕事は手探りで、それぞれが知恵を出し合って乗り切ってきことが今後の糧になる。笹倉さんは、「相馬市でできたほかの自治体職員との絆を今後も生かしていきたい」と話した。
国定市長は、生活は普通にできていると言うことを聞き、「ぼくらは必要以上にさびれているのではないかと思ってしまうが、実際に生活をしていた立場として、その実感を赤裸々にまわりの人に話していくことが、相馬に派遣された職員の職責だと思う」と話し、「お疲れさまでした。きょうからまた三条市で頑張ってね」と激励した。