21日の分水おいらん道中で行われる「つばめるしぇ」に燕市吉田大保町、フード&バー「noanoa(ノアノア)」が「とりにくのレモン和え丼」で出店する記事を書いた。そのなかで「鶏肉のレモン和え」の歴史についてはっきりしない情報を「…という説がある。」という逃げの一言で締めくくって書いた。
しかし、その歴史が誤りであるという情報を消息筋からいただいた。「誤った情報が広がることに懸念して」とのこと。この機会にご教授いただいたその正しい歴史を引用して紹介する。
市町村立の学校給食センターや学校の栄養士は県職員で、通勤時間約1時間以内の範囲で異動がある。昭和56年(1981)に三条共同調理場から吉田中学校へ異動してきた栄養士が、三条市で好評だった「鶏肉のレモン和え」を献立に盛り込んだ。その献立を喜ぶようすを見た吉田給食センターと吉田町立保育所も献立に取り入れた。
その後、吉田給食センターの栄養士が弥彦小学校へ異動し、弥彦村でも献立に盛り込んだところ好評で、吉田・弥彦地域で根付いたと言う。30年来の好評の献立で、保育参観や授業参観のときに保護者から作り方を聞かれることが多く、そのレシピと味の記憶を頼りに精肉店の惣菜になったり、居酒屋メニューになったりしている。
ちなみに、昭和56年の時点で、中学3年生は昭和41年生まれなので、それ以前に生まれた人は学校給食で「鶏肉のレモン和え」食べていないという。
以上が提供いただいた情報。ぜひ、これを決定版として「鶏肉のレモン和え」を後世に伝えてほしい。また、「鶏肉のレモン和え」のサイドストーリーでもあったらお知らせいただきたい。機会を見つけて紹介していきたいと思う。