分水おいらん道中が行われた21日、大河津出張所構内の大河津分水工事殉職之碑の前で大河津分水殉職者慰霊式が行われ、明治42年(1909)に始まった大河津分水路工事とその後の維持管理作業などで殉職した100人を慰霊した。
北陸地方整備局信濃川河川事務所大河津出張所の主催で毎年行っており、例年は分水おいらん道中と違うに日に行っていたが、ことしは同じ日に行うとともに、これまで出席していなかった地元選出の国会議員も出席。その後、分水総合体育館で行われた分水おいらん道中には、慰霊式に出席した国会議員も来賓として見学した。
慰霊式には大河津分水改修促進期成同盟会の市町村の首長や関係機関から40人余りが出席。黙とうのあと信濃川河川事務所大河津出張所の小幡淳所長は式辞でこれまでの大河津分水改修工事の経緯を話し、近年はこれまでに経験したことのない自然災害が繰り返し発生しており、「こうした災害に備え、先人が築き上げた大河津分水の防災機能を良好に保つため、日ごろから巡視、点検を怠ることなく、維持管理に努めている」とし、殉職者の安らかな冥福を祈った。
北陸地方整備局の橋場克司局長はあいさつで、大河津分水には万人の思いが込められており、「大河津分水が将来にわたってさらに確固たる治水の要となって越後平野を水害から守るためにも引き続き着実に整備、管理を行っていきたい」とした。
大河津分水改修促進期成同盟会会長の篠田昭新潟市長は一昨年の新たな可動堰(ぜき)の完成に感謝し、「大河津分水は新潟、越後平野の本当の守り神であるということを広く地域、市民にお知らせいただきたい」。信濃川・中ノ口川治水事業促進期成同盟会会長の国定勇人三条市長は、三条市が大きな被害を受けた2004年の7.13水害、2011年の7.29水害を振り返り、「われわれの生命、財産の守り神と言っていい、この大河津分水路については、人間の英知を結集してさらに安心、安全度を深める、そんな取り組みを関係各位に深く望む」と期待した。
大河津分水慰霊式協賛会会長の鈴木力燕市長は、大河津分水の桜土手で行う予定だった分水おいらん道中は雨降りのため会場が体育館に変更になったが、慰霊式が分水おいらん道中と同日開催となったことは「先人の方々への思いをしっかり受け継ぐ、その繁栄を引き継ぐという意味で非常に意義深い」とし、「これからもわたしたちの責務として殉職者の尊い精神とご功績を末長く後世に語り継いでいく」と話した。出席者で順に献花し、閉式した。