燕市産業史料館では、10日から26日まで「捧武写真展〜電鉄のある風景」を開いており、「かぼちゃ電車保存会」(丸山裕会長・会員約30人)所有の3年前に亡くなった燕市の写真家、捧武さんが撮った電鉄の写真と電鉄に関する史料を展示している。
ここで言う“電鉄”は昭和8年から平成11年まで営業した新潟交通電車線のこと。燕駅から白山前駅まで36.1キロを結んだ。主に中ノ口川の左岸土手下を走った。戦後、燕市は洋食器産業が急速な発展を遂げたが、その背景には、西蒲原郡から大量の労働者が燕市内の工場へ通勤する玄関口となった燕駅があったからこそだ。
捧さんは第二回林忠彦賞受賞の本県を代表する写真家で、平成22年に77歳で死去した。電鉄の廃止が近づくと電鉄を精力的に撮影し、平成11年に写真集『電鉄浪漫』を発刊した。
亡くなる2カ月前、撮りためた電鉄の写真パネルを旧月潟駅舎で“かぼちゃ電車”の愛称の電鉄車両を保存する「かぼちゃ電車保存会」に寄付した。捧さんは電鉄と同じ昭和8年生まれで、生きていればことしで80歳の傘寿。寄付した当時、捧さんは80歳まで生きられたら電鉄の写真展を開きたいと話していた。残念ながら80歳を迎えられたなかったが、電鉄の写真展は捧さんの遺志を継いで今回、実現した。
今回は寄付した写真パネル32点すべてを持ち込んだ。写真はすべてモノクロで全紙サイズ。電鉄の月潟-燕間が廃止された平成5年、全線廃止となった平成11年のころに撮影した写真が中心。撮影地順に会場を入って時計回りに燕駅から白山前駅へと展示している。
最も古いのは昭和27年に燕駅前広場を撮影したもの。そして昭和35年撮影の白根凧合戦とともに撮影した“かぼちゃ電車”、同45年に新潟-六分間、新飯田駅前堤防で撮影した写真がある。作品によってかなり時代は違うが、モノクロばかりのこともあって時を超えて違和感なく並ぶ。電鉄の往時を知る人、実際に乗車したことのある人には、さまざまな記憶とともに懐かしく鑑賞できる。
あわせて「かぼちゃ電車保存会」所有の電鉄に関する史料をいくつか展示する。“車電”とある大きな切り抜き文字は、白山前駅の駅舎の外壁に設置されていた実物で、木を切り抜いた文字にブリキでカバーが施されている。東関屋駅車両基地に放置されていたものを保存会が譲り受けた。右から左に読むと“電車”になる。
水平器具が内蔵された測量器具の皮ケースには“中ノ口電気鉄道株式会社”と刻む。これは営業運転開始前、創業当時の社名だ。線路の“架線柱”に張られた番号札、白山前駅の外壁の破片もあり、これはすべて初公開だ。
ほかにも縮尺1/150の“Nゲージ”と呼ばれる鉄道模型のサイズに合わせて作られた白山前駅のジオラマ。さらには8トラック・カートリッジテープに録音された車内アナウンスをCDにして3分に1回、会場に流れており、郷愁満点だ。
初日10日は、「かぼちゃ電車保存会」の幹事、学生の名古屋諒さん(23)=三条市月岡=が会場に張り付いて来場者を案内した。子どものころから父の影響で鉄道が好きになった乗り鉄、撮り鉄、鉄道模型と何でもこいの生粋の“鉄ちゃん”。とりわけ電鉄が好きで、保存会の活動を目の当たりにして「保存という世界はすげー、かっけー」と大学入学とともに入会し、ことしで6年目になる。
展示作業にも当たった。「飾り付けはしびれました。勝ち誇った気持ちじゃないけど、これほど生き生きした写真を見たのは初めてです」と声を弾ませていた。
日曜の12日、19日、26日はいずれも午後2時から会員による展示解説会を開く。さらに12日と19日は午前10時から午後4時まで新潟大学鉄道研究部がNゲージとプラレールの走行会も開き、鉄道ファンにはたまらない内容。日曜は東京から来館を予定している人もあり、広く“鉄っちゃん”を集めそうだ。
会期中の休館日は13日と20日。入館料はおとな300円、子ども100円で土、日曜と祝日は燕市内の小中学生と付き添いの保護者一人が無料。