東日本大震災の影響で三条市の避難所に避難していた福島県南相馬市の有志が、三条市への感謝と三条を第二の故郷とする万感の思いを刻んだ記念の石碑を当時の避難所だった三条市総合福祉センターに建立。23日午前、先に寄付をしたゴヨウマツの植樹式とあわせて石碑の除幕式を行った。
記念の石碑は、約60センチ四方の福島県安達太良山の御影石に、「第二のふるさと」、「東日本大震災福島県避難者一同」と刻んでいる。
2011年3月11日の東日本大震災の発生で、三条市では3月16日から市内4カ所に避難所を開設。原発事故の影響によって福島県から、難所で747人、親戚宅なども含めると計815人が三条市に避難した。
不安をかかえ避難してきた人たちを暖かく迎え、支援を続けてきた三条市や三条市民に感謝の気持ちを表したい、またその歴史的事実を後世に伝えたいとの思いが込められた石碑は、いまだふるさとに帰ることができず三条市で避難生活を続ける人や、すでに福島に戻った人たちなど、福島から三条に避難した人たちの募金で建立した。
午前11時からの式典は、石碑と「五葉松」が植栽された同センターの正面玄関前で行い、国定勇人三条市長や新潟の地元県議、福島の高野光二県議など来賓と三条市に避難している人など60人ほどが列席。
植樹や石碑建立の発起人の佐竹紀さん(73)=南相馬市小高区=は、「のちには五葉松と石碑が三条市と福島県を結ぶ絆のシンボル難れば望外の喜びです」とあいさつした。
避難者代表あいさつで震災前まで南相馬市小高区でクリニックを開業していた医師の今野明さん(58)=福島県伊達市・梁川病院院長=は、ときどき言葉を詰まらせながら感謝の気持ちを話した。「現在もまだまだお世話にならなくてはならない状況ではありますが、本当はわれわれが元の生活に戻る、あるいはそれ以上に戻ることが何よりの恩返しと思うが、まだまだ遠い状況ではあります」、「立派に復帰の志をもって一同頑張っていきたいと思う」と述べた。
続いて、国定市長の祝辞。冒頭から目を潤ませた国定市長は「今野先生の話を伺いながら、3月16日のあの晩を、思い出します」と、涙をこらえながら話し始めた。
わずか6台のバスに300人が乗り、全員が避難所に入るまで1時間半かかった。「私は正直、とんでもないことを引き受けてしまったのでは。浜通りの社会のすべてを私たちは引き受けなければいけないんだな、少し戸惑ったことを正直、思い返しております」。
「でも同時にあの時、覚悟を決めました。お迎えする以上、安心して三条で避難生活をしてほしい。どんなに長い避難生活になろうとも、三条市民はひとり残らず大切にお支えをしていく」と振り返った。
「避難されているすべての皆さんが、避難生活という言葉がなくなって、三条での避難生活を懐かしみ、慈しみ、そんな思いに昇華したときに、われわれの支援活動は終わるんだと思っています」。「形は変わるかもしれませんけれど、皆さま方を市民を挙げて全力でお支えしていくことをあらためて誓います」。
「福島と新潟と南相馬と三条と、変わらぬ縁がこれから先も続きますことを心から念じながらお祝いの言葉とさせていただきます」と述べ、「福島がしっかりとしたその確かな一歩をみるその日まで、いっしょにがんばっていきましょう」と締めくくった。このあと、列席者で植樹と石碑の除幕を行い、記念撮影や会食を行った。