2004年の7.13水害からちょうど9年たった13日、9人の尊い命が失われた三条市では、五十嵐川の堤防が決壊した場所に建設された五十嵐川水害復興記念公園で水害犠牲者に黙とうをささげた。
公園に建立された慰霊碑の前に献花台を設置。国定勇人市長、熊倉均市議会議長、吉田実副市長、長谷川正二教育長、新潟県三条地域振興局の名古屋祐三局長と丸山朝夫地域整備部長、地元の人など25人余りが参列した。
梅雨空の下、堤防が決壊した時刻と同じ午後1時15分に黙とうをささげ、続いて順に白いキクを手に献花して犠牲者のめい福を祈った。
この日は9年前を思い起こさせるように明け方、まとまった雨が降った。インタビューに国定市長は、「あんまり気持ちのいい雨の降り方じゃないなと思いました。本来、雨は恵みをもたらす雨であるべき、私たちにとってまだまだそうなりきれてはいない。われわれに素晴らしい雨になるその日まで、ハードソフト両面を一生懸命取り組んでいく必要があると、決意を新たにしました」と話した。
毎年、黙とうを続ける意味については、「7.13水害を忘れないということ」、「亡くなられた方々にしっかりと面と向かって、しっかりとしたまちづくりをやっていると決意を新たにする機会と思っている」。
今後の取り組みについては、、ハードとソフトの両面にわたる災害に強い町づくりと同時に「(7.13水害の)当時、小学校1年生が中学校卒業するところまで月日は流れた。これから先は、記憶の風化との戦い」。「継続していくためには、子どもたちにはとくに防災教育などで災害の恐ろしさ、川と正しく向き合う姿勢を、われわれ大人の責務として教え続ける必要がある」と話した。
献花台は午後6時まで設置し、黙とうが終わってからも市民や県議、衆議院議員などがぽつぽつと訪れ、花を手向けた。また、同所をウオーキングなどで通る人たちも足を止め、慰霊碑の前にたって手を合わせていた。訪れた小学6年生の女の子は当時、保育園児だったが、あの日の激しい雨の音の記憶があると言う。ほかの男性は当時、大学生で県外にいたが、すぐに実家に戻り、復旧作業にあたったが、7.13水害の体験がきっかけで「水位計」を扱う職業に就いたと話していた。