18日、小学校からの幼なじみだった男友だちの通夜に出席した。3年前から肺がんを患い、17日夜に亡くなったらしい。行年53歳の若さだった。以前から闘病していると聞いていた。最近になって風の便りに同級生に会いたがっているという話も聞いていた。
その後、同級生から彼にメールなどで連絡したが、返信がなかった。返信もできないほど具合が悪くなっているのか、あるいは会いたくないのか。後者なら迷惑だろうと直接、本人に確認するのは気が引けた。彼の親せきと親しかったので、彼の病状を問い合わせてみたが、それほど具合が悪そうでもなかったので、無理に連絡をとるのはやめることした。
闘病を知る友だちたちは以前から覚悟をしていた。17日朝、訃報が届いた。翌日の通夜には350人ほどが出席した。開式のとき、音楽が流れた。カーペンターズのバラードナンバーだ。「Superstar」だっただろうか。40年前の思い出が蘇った。
カーペンターズは、1970年代を中心に爆発的な成功を収めた米国の兄妹ポップス・デュオ。ネットで調べると、おそらくカーペンターズが初来日した1972年の記憶なのだろうか。当時11歳。英語の歌詞もかなり覚えているので、中学生になってからかもしれない。彼の家は、ほかの2人の同学年の友だちの家と3軒でL字型をつくるように隣接し、屋根を伝って隣の家へ行けるような感じだった。
みんなでカーペンターズにはまっていた。初めての洋楽体験だった。夏休み、その3軒の家へ毎日のように通った。2階の窓から日に焼けて熱くなったトタン屋根に出て仰向けにひっくり返り、カセットデッキを鳴らした。そこから流れたのはいつもカーペンターズの曲だった。
子どもなのに当時、三条市にあったストリップ劇場にいたずら電話したこともあった。秋になれば稲刈りの終わった田んぼでUコンと呼ぶ模型飛行機を飛ばして遊んだ。爆竹やかんしゃく玉、2B弾なんかで遊ぶ悪ガキでもあった。夏休みでさえ永遠に続くのではないかと思うほど、ゆっくりと時間が流れていた。
50歳を過ぎても時々、思い出す何ものにも代え難い遠い日の記憶。自分にとっての『スタンド・バイ・ミー』の1ページなんだったんだなと今さらながらに思う。とっくにカーペンターズをすすんで聴くことはなくなった。しかし、彼は今も聴き続けていたから、遺族が通夜の音楽にカーペンターズを選んだのだろう。彼はずっと当時の記憶を大事にしていたのだろうか。通夜の最後もカーペンターズだった。「Sing, sing a song...」。