燕市教育委員会は、県営ほ場整備事業の排水路整備整備に伴って6月下旬から燕市渡部地内で行っている力ノ尾(りきのお)南遺跡の発掘調査の現地説明会を8日開き、参加した市民や地元の小学生ら43人にこれまでの発掘調査の概要を紹介した。
力ノ尾南遺跡は、分水地区の国上山側から渡部橋を渡った大河津分水の左岸側で、山すその一帯。山すそに沿って排水路があり、その整備に伴って幅2.5メートル、長さ約150メートルの区間を調査している。
翌9日に調査を完了するのに伴い、埋め戻す前の発掘現場を見てもらおうと現地説明会を開いたもので、冒頭、地元渡部地区の中務紀歳自治会長は「渡部地域は以前から歴史のロマンのある地域と話していたが、そのロマンがようやくきょう目の前に現れた」、「この説明会を通してまた新しい渡部を発見し、見直してほしい」と調査の成果に期待した。
調査を担当する生涯学習課の松島悦子主任が説明。発掘現場や遺構を見学してもらい、「渡部は古くから人の営みがあった地域」で、山の上には戦国時代の御館(おたて)の乱の舞台ともなった渡部城があった場所で、出土品は平安時代の西暦800年代のものが見つかっているした。
現場事務所では、柱材から底に漆で文字が図柄が描かれた土器、魚を捕る網につけるおもりの土錘(どすい)、製鉄のときに出たくずの鉄滓(てっさい)、砥石(といし)甕(かめ)、須恵器、杯(つき)、杯蓋(つきふた)、黒色土器、椀(わん)など展示。小学生も多かったことから、一部を除いて子どもたちから出土品をさわってもらった。
「はにわなんかが好きで」と、鍛金で人間国宝の玉川宣夫さん(71)=燕市花見=も参加した。鉄滓や砥石は手にとって重さなどを確かめた。砥石は柔らかい石で、「仕上げ用だね」と玉川さん。光明山(下田地区の奥の山)でいい砥石が出たと言うけどね」、「光明山には山登りしたけど、砥石自体は見てない」と興味深く観察していた。