夏休みが終わって2学期が始まった。自分なりにことしの夏休みの日記を書くとしたら、「楽しかった200メートルいちび」が大きな思い出のひとつだ。
8月24日、燕市燕地区の商店街、総延長700メートル余りを歩行者天国にして恒例の200メートルいちびが行われた。好天に恵まれて人出は3万8,000人を数えた。間もなく燕地区の商店街のシンボルともいえるオーバーアーケードの撤去工事が始まる。200メートルいちびでそれを記念したイベントが行われなかったことに不満をもらす人もいたが、オーバーアーケードの下での最後の200メートルいちびを飾るにふさわしい盛り上がりだった。
今回の目玉は、「つばめるしぇ」の同時開催。つばめるしぇは、三条市の「三条マルシェ」の成功にならって、燕市が昨年秋の燕青空即売会で初めて同時開催し、今春の分水おいらん道中でも同時開催した。しかし2回とも荒天に見舞われ、とくに分水おいらん道中は底冷えの寒さでほとんど客が出ず、出店料の返金を求める出店者ともめるなどさんざんだった。
とにかく三度目の正直で、まずは晴れてくれればそれでいいと関係者は神にもすがる思いで当日を迎えた。その願いが通じたのか、前夜からの雨が朝方まで残ったが、200メートルいちびが始まる前にやみ、日中は過ごしやすい絶好の陽気に恵まれた。
つばめるしぇは、これまで交通規制を行っていなかった穀町の通りを車両通行止めにして開かれ、予定通り23店が34のブースに出店した。200メートルいちびは子ども向けの遊びを提供する店が多かったのに対し、つばめるしぇの出店は飲食が中心。人の数は200メートルいちびの区間を上回るほどで、とくに時間が遅くなって日が暮れるころから顕著だった。
今回の関係者のチャレンジのひとつが、店舗の照明。祭りの露店のように電気設備を仮設すると経費がかさむ。昨年夏、東三条商店街で初めて夜に開かれた三条マルシェは、会場の真っ暗な駐車場に投光器など照明を設置したが、それでも暗く、夜の開催は懲りたようだ。
今回のつばめるしぇでも、照明が問題になった。終了が午後8時なので、照明が必要なのは日没後の7時ころから1時間ていどしかない。そのために大金を投じるのは割に合わない。そこで思いついたのがLEDランタン。裸電球ほどの明るさはないが、通りには街灯があるので、それほど強い照明は必要ないとふんだ。
結果は大成功。光の色が赤味を帯びた裸電球と違って青味がかっていたのはやや情緒に欠けるが、薄ぐらい感じも雰囲気があって悪くない。LEDランタンならほかの事業でも使い回ししやすい。関係者には大満足の結果で、ようやく、つばめるしぇがスタートラインに立ったという印象だ。
最近、燕市職員が直接、三条市に三条マルシェのノウハウを学んでいる。今回のつばめるしぇには、三条マルシェに中心的にかかわっている民間のメンバーが何人かつばめるしぇに訪れたのも新鮮だった。つばめるしぇと三条マルシェを一緒にやろう、なんなら新幹線駅前の通りを歩行者天国にして燕市と三条市の境界で両市民バーサスの綱引き大会をやろうといった話で大いに盛り上がり、両市が力を合わせた新たな展開を予感させた。
さらに楽しかったのが、つばめ若者会議の有志がつばめるしぇのに共同出店した「わかめるしぇ」だ。5つのブースを使ってコーヒー、キュウリ、手芸品の販売、夕焼けランタンを作るワークショップ、ボードゲーム「カロム」の体験会などを行った。つばめるしぇのなかでも、いちばん人を集めるほど大人気だった。
そもそもこの日は取材がてら、初めからつばめるしぇとわかめるしぇを最初から最後まで見届けるつもりだった。カロムのあたりでぶらぶらしてたら、親子連れにカロムがやりたいと言われた。あいにく指導者が不在だったが、カロムのルールならほぼわかっているので、僭越ながら代わって指導させてもらった。その後も訪れる人があったので、何人か指導した。その後も、何気にわかめるしぇを手伝い、最後はテントの撤収まで手伝った。大学時代、コンサートのPA設営のアルバイトをやっていたので、今も撤収作業になるとどっかのスイッチが入る。
テントの飾りを作ったり、わかめるしぇのロゴやちらしを作ったりと準備を進めてきたメンバーは目を潤ませていた。わかめるしぇがやったことは、はた目にはほとんど意味のないことと思われるだろうが、幸せはそんなところに隠れている。
三条マルシェを見ても思っていたが、踊る阿呆に見る阿呆で、客になるよりも出店者になった方が絶対に楽しい。それも営利や価値よりも遠い方が楽しいと常々、思っていた。最近の三条マルシェでも歌声喫茶にちょっと参加して確信した。以前から三条マルシェに出たいと思いながら実現できていない。気が付けば、ことし分の三条マルシェもすでに出店申し込みが終了。ああ、ことしも出店できなかった…。