間もなく解体、撤去が始まる燕市・サンロード宮町商店街のオーバーアーケードに感謝しようと22日、アーケードの下を歩行者天国にして「感謝のビアガーデン祭り」が開かれ、予想を上回る多くの来場者でにぎわった。
午後5時から8時まで開かれ、宮町商店街振興組合(鈴木雅一理事長・加盟約30店)が焼きそば300食の無料配布をはじめ、酒販組合の若手の「燕酒会」が生ビールなどドリンク類を販売したほか、燕食肉組合がバーベキュー、地元の親ぼく会「友凪会」が焼き鳥やフランクフルトを販売。さらに地元の飲食店も食品販売で加わり、いすやテーブルを並べたアーケード下は、一夜限りのビアガーデン会場に生まれ変わった。
一方で商店街が意図しなかった市民有志が自主的にイベントを企画した。企画したのは先に商店街で開かれた「200mいちび」のつばめるしぇに、つばめ若者会議の有志がつくったチーム「わかめるしぇ」のメンバーだ。アーケードは商店街のものだが、同時に市民にとってもまちのシンボル。余った歩行者天国のスペースを使い、商店街と一緒に感謝のイベントをと、わずか1週間ほどで手づくりのイベントを企画した。
県央地域では珍しい飛び入り歓迎で演奏できるオープンマイクをはじめ、ボードゲーム「カロム」の体験、ヨーヨー釣り、バルーンアート、つばめっ子かるた。幅1メートルのロール紙に自由に感謝の言葉を書く「皆で書道ガールズ」やチョークで落書き、大線香花火大会、宮町宝探しなどを行った。
予算はゼロ。プロの司会者、公募展で活躍する書家、各地で演奏活動をするミュージシャンも、アーケードに感謝するためならと無償で協力。みんなが手弁当で時間と労力と知恵を出し合ってイベントを盛り上げた。
開会式では、鮮魚店「吉田屋」の社長、鈴木雅一理事長と鈴木力市長が並んであいさつした。2人はいとこで、公の場で2人があいさつすることは、これが初めてかというほど珍しい。鈴木理事長によると「法事では市長があいさつしてわたしが献杯する」とか。鈴木理事長は「大いに飲んで騒いでいただいて、そして各商店街のなかでお買い物をしていただければ」とあいさつした。
鈴木市長はあいさつで、30年以上前に他界した父吉治郎さんが、1977年のアーケードオープンの記念イベントで、吉田屋の板前としてマグロの解体ショーを行い、父とマグロの重さと何人前の刺身ができるかを当てるクイズについて話し合ったエピソードを紹介。「わたしもこのアーケードに非常に感謝している。無くなるのは非常に寂しいが、また新しい商店街に生まれ変わるということで、皆さまともども感謝の思いを表したい」と話した。
無料配布の焼きそばには、開始30分以上前から行列ができ、飲食は飛ぶように売れた。アーケードの屋根は開閉式で、途中で必然性はないが、アーケードの屋根を開くサービスも行った。
ただ食べて飲んで帰るだけでなく、「わかめるしぇ」のイベントにも参加し、にぎやかな声が響いた。「皆で書道ガールズ」ではまずは鈴木市長が「三十六年ありがとう」と書き、続けて宮町自治会長が「雨の日も風の日も町内の人を守ってくれてありがとう!」。さらに「愛してます」、「感謝」、「マミーストア」、「想い出いっぱい」の文字やツバメなどの絵をおとなも子ども一緒になって書いた。
オープンマイクでも、燕市を舞台にした曲の演奏や若くして難病で無くなった燕市の女の子が作詞した『笑顔を忘れないで』、先に完成したばかりの燕市の保育園や幼稚園の歌『みんなつばめのこども』の演奏もあった。最後は戸隠神社の春祭りでおなじみ、宮町の木場小路万灯組が踊り子「お玉さん」のOGによる伊勢音頭にあわせた踊りを披露して来場者の大きな拍手を集めた。アーケードへの思いはもちろん、訪れた誰もが今までにないほど「燕」を強く意識した時間だった。
会場を訪れた誰もがアーケードとこの日の商店街とわかめるしぇが合体したイベントに感謝。フェイスブック上では、「みんなが笑顔だったあの空間にいられたことが本当に嬉しかった」、「またあるとイイです〜」、「忙しくて体があと2つくらい欲しい1日でした」、「さようならサンロードアーケード!!!ユルさ全開〜♪」、「これからもやって欲しいです」といった投稿があった。