燕市中央通り1の中央橋たもと、中ノ口川の堤防にある保食(うけもち)神社では、10月1日の秋祭りを前に30日、その準備が行われた。
午後から近所に住む年配の人10人近くが訪れ、座布団をガードレールに載せて乾かしたり、雑草を取ったり。のぼり旗を立て、三方に菓子や野菜を載せて備えるなど1時間ほどで作業を終わった。
1間(1.8メートル)四方の小さな神社で、堤防上の道路のすぐそばに立つ。裏に倉庫と称した何人か人が集まれる建物もある。
準備をしていたなかに、郷土史研究家の石黒克裕さん(73)=中央通り1=もいた。石黒さんによると、もとは明治時代に民家の敷地に建てられた稲荷神社で、それが移築されたものではないかと言う。
春の初午(はつうま)祭と秋祭りが恒例行事。秋祭りは今はないが以前は宵宮祭も行った。初午祭は今も60本もの五色旗が立って壮観。「60歳になったら1回、ゼロにして旗を揚げてくれと。65歳になったら5歳と書いて揚げてくれってわけだ」と笑う。
堤防の上にあるので参道には石段がある。足腰の弱くなった人が登るのが大変だからと、数年前にステンレスの手すりを設置。今も信仰は厚い。
秋祭りの翌1日は、午前11時半から燕戸隠神社の星野和彦宮司が神事を行い、恒例で供えたキツネの好物とされる油揚げをその場で焼いて食べる。その後の直会(なおらい)はどうするかと聞かれた石黒さんは、「焼き鳥屋に行って一杯やるか。オレとおめえしかいねけど」とまた笑った。