伊勢神宮=三重県伊勢市=で20年に一度の式年遷宮のクライマックス、還御(せんぎょ)の儀が行われるのにあわせて燕・戸隠神社(星野和彦宮司)は2日午後8時から遙拝式(ようはいしき)を行い、はるか400キロ離れた地から伊勢神宮を拝んだ。
秋気が漂う拝殿の奥、幣殿に「天照皇大神」とある軸を掲げ、その手前に式年遷宮の絵巻を下げた。約50人が参列し、秋の虫の声が響くなか、厳かに神事を行い、玉ぐしを捧げた。
星野宮司が伊勢神宮、式年遷宮、遙拝式などについて話したあと、海外最古の神社、ヒロ大神宮の宮司を務めていた渡辺大蔵権禰宜(ごんねぎ)が講話を行った。参拝者には祝いの紅白団子を配った。
星野宮司は、5日に伊勢神宮で行われる外宮(げくう)の豊受大神(とようけのおおみかみ)を遷す特別奉拝に招待されている。星野宮司は「伊勢神宮遷宮にあたり」と題した談話を印刷したものを参拝者に配布した。談話は次の通り。
伊勢神宮遷宮にあたり
本日、燕市民並びに氏子崇敬者ともども、伊勢皇大神宮の遷御にあたり、燕の地より遥拝式を厳粛のうちに滞りなく執行することが出来、まことに慶賀に耐えません。
また、私がこの度の御遷宮にあたり、大宮司より五日の豊受大神宮「遷御」の特別奉拝のご招待を受けたことは、一地方神職として望外の喜びであり、大変名誉なことでもあります。
ここに第六十二回目の御遷宮が国民奉賛のもと、つつがなく斎行されることに感激を覚えます。
伝統継承をその目的のひとつとする御遷宮の、千三百年の歴史のなかでは、幾度かの危機もありました。そのつど国民の叡智と神様のご配慮により困難を乗り越えてまいりました。
マスコミで大きくは取り上げられておりませんが、私はあえて申し上げます。前回に引き続き今回の御週宮が無事執行できたうらには、三条工業会が果たした役割は大変大きなものがあります。三条工業会の納める「和くぎ」なくしては御遷宮の歴史は、平成の御世で中絶してしまったといっても過言ではありません。それほど重要な仕事と卓越した技術を担われたのが、三条工業会であります。
神宮当局は勿論のことたと思いますが、私をはじめ全国の神社界神職は、三条工業会のこ恩を忘れません。またその巧みの技に心より敬意を表します。現在では商売に直接は結びつかない「技(わざ)」ではありますが、日本が世界に誇れる伝統技術の継承地として今後も引き続きたゆまないご労苦をお願いいたします。
それにつけても残念なことがあります。
御遷宮や伊勢神宮を利用した商売を企んだ地元企業があったことです。同じ金属工業を地場産業とするとはいいながら、三条工業会とはその精神、信仰心の違いを見せ付けられた今回の御遷宮でもありました。
「神恩感謝」これが、日本人としての「敬神」の心であり、また「商魂」だと思います。
平成二十五年十月二日
燕市 戸隠神社宮司 星野和彦