新潟県央工業高校は5日、創立100周年記念式典を開き、明治44年の南蒲原郡立三条商工学校創立から102年、商工分離による三条工業高校設立から50年の節目の年を祝い、さらなる発展を願った。
午前10時から同校講堂で開き、県教育委員会の外山道子教育委員、佐藤卓之県議、国定勇人三条市長、鈴木力燕市長など来賓、生徒550人と職員、同窓会が中心となった創立100周年記念事業実行委員会委員など約800人が参列した。
同校は、明治44年に郡立三条商工学校として開校し、大正11年に県立に移管。昭和19年に三条工業学校と改称、昭和23年学制改革によって三条実業高等学校となる。昭和38年三条工業高等学校として分離。平成16年に三条工業高等学校と燕工業高等学校が統合され、県央地域の工業の拠点校として新潟県央工業高等学校に改称、現在に至る。これまでの卒業生は24,600人余り。
実行委員会会長の川崎国雄同窓会長はあいさつで、「人間社会を支える原点はものづくりです。ものづくりの技術と知識を学びながら、心身を鍛えることが何よりも大切だと考えております」。さらに同校は「この地域の産業にとって何よりの財産」と述べ、「これからも100年の伝統を受け継いで、地域社会と地域産業に貢献しながらさらに発展するであろうことを確信している」と期待した。
笹川民雄校長は式辞で、これまでの100年には平成16年の7.13水害など「幾多の困難を乗り越えた結果として今日の本校があることを忘れてはならない」と述べた。また、めざましい活躍の部活動の取組の精神は「県央魂」として生徒に大きな影響を与えているとし、先輩諸氏や地域の支えに感謝する。さらに、「次の100年に向け、教育目標「知性・情熱・創造」のもと、教職員一丸となり、新たな時代にふさわしい工業教育の歩みを地域とともに進めていくこと」を誓った。
来賓祝辞、卒業生などからの篤志募金で建設した総合トレーニング場など記念事業目録贈呈、生徒会長の中条義弘さん=3年=による「生徒代表喜びの言葉」などを行い閉式。
続いて、記念講演会に移り、「メイド・イン・東大阪」の人工衛星「まいど1号」の打ち上げ計画から実現へと導いた中心人物の東大阪市モノづくり大使の青木豊彦さんを講師に「町工場のおっちゃんが語る“モノづくりの心”」のテーマで聴いた。