三条信用金庫は17、18日の2日間、東日本大震災で被災した宮城県内で5回目のボランティア活動を行った。
被災地の一日も早い復興をと、同金庫では職員に参加を呼びかけ、震災発生から9カ月後の2011年12月に宮城県石巻市で初めてボランティア活動に取り組み、木製パレットの洗浄作業を行った。以来、今回で計5回になり、延べ74人の職員が参加した。
今回は、小浦方常務理事をはじめ男性9人、女性4人の計13人が参加。宮城県気仙沼市の大谷海水浴に近い飲食店「ミルキーランド」の店舗前の緑地帯に花壇を作り、球根を植えた。同店は、日本で一番海岸線に近い線路を走るJR気仙沼線を見下ろす場所で営業していた店舗が津波で流され、移転して再建した。
17日朝、三条市からバスに乗って出発し、約6時間をかけて気仙沼市に到着し、市内のホテルで宿泊。翌18日朝からボランティア活動を仲介する気仙沼復興協会で被災状況や活動について聞いたあと、作業現場へ移動して午後3時まで活動した。
作業は、花壇にする場所を耕し、流木を切って周りを囲み、土を入れ、チューリップとフリージアの球根を植えた。そのころ三条市は雨が降っていたが、気仙沼は晴れ、汗を流しての作業。昼食は同店の店主がおにぎりや豚汁を振るまってくれた。
5回のボランティアのうち第1回を含めて4回、参加した同金庫人事教育部の渋谷恒夫次長(48)によると、今回は南三陸町に寄ってから気仙沼市へ向かい、1年前と比べると散乱していたがれきがなくなり、きれいになったようだが、まっさらな状態が広がるだけ。建物ができて町並みが復活したという状態ではなく、以前に建っていた土台があるだけと言う。
町の中はたくさんの重機やダンプカーが動き、ほこりっぽい状態。最初に訪れた石巻で作業したときにはかなりの臭いだったが、魚の油のような異臭が少しだけした。
漁業が中心の町だが、賃金が高いこともあるのか建設業に多く人が流れている。本当に町を復興させるための必要なところに人が足りず、雇用の問題もある。地盤沈下や建築基準、行方不明者、土地のことなど難しい問題も多く、それらを解決しないと前に進めないのではと考えると、復興にはまだまだ時間がかかるのだろうという印象だった。
また、復興慰霊碑の見学に訪れたとき、慰霊碑には祖父や祖母とともに家にいて被災した就学前の小さな子どもたちの名前も刻まれていた。
さらに、ボランティア活動で被災地を訪れ、「普通(でいられること)はすごいこと、普通がいちばんいいんだな」とあらためて感じたと話した。1回目で作業した石巻市の水産過去王品メーカー「木の屋石巻水産」の缶詰「鯨大和煮」が復活し、店頭に並んでいたのを目にして、うれしかったとも。
ボランティア活動は、当初の片づけなどから、何かを作るなどの作業へと変化しているが、道路や大きな物などは行政や専門の業者の仕事となっている。また、同金庫のボランティア活動は今年度は今回で、一区切りとしており、今後は未定だ。
渋谷さんは、今後について個人的な考えとしたうえで、必要な作業自体も限られてきており、今後はボランティアで作業というよりは、現地に行かないとわからないことが多いことから、職員の旅行のようなかたちで訪れるという支援の方法も考えられると話していた。これまでの三条信用金庫の東日本大震災ボランティア活動内容は次の通り。