2014年1月19日から30日まで三条市・諸橋轍次記念館、2月1、2日と長岡市・アオーレ長岡で開かれる企画展「八十里越物語〜未来に継ぐ共助の歴史〜」を前に主催する八十里越物語実行委員会は27日、諸橋轍次記念館で記者会見した。
河井継之助(1827-68)は長岡藩の家老で、戊辰戦争で中立を図ろうとしたが目的を果たせず、戊辰戦争最大の激戦とされる北越戦争で敗戦し、今の三条市の下田郷と福島県只見町を結ぶ八十里越をたんかに乗せられた敗走するなかで読んだ「八十里 こし抜け武士の 越す峠」の句は有名だ。
企画展では、北越戊辰戦争の軌跡をたどる。小学校高学年にもわかるような説明で昔、地元で何が起こったか、自分がどんな歴史のうえに生まれ、つながっているかを子どもたちに考えてもらう機会にする。企画展に向けて河井継之助記念館友の会の沢秀一郎会長副会長を代表に16日、実行委員会を設立した。
展示品は、11月中旬から4月下旬まで冬季閉館している只見町河井継之助記念館から借りる。河井継之助の遺品、八十里越を超えて三条市から只見へ行った文物、長岡藩士が只見町へ運んだ文物、戊辰戦争で使われた武器弾薬など30点を展示する。
記者会見では、展示品のなかから、河井継之助のけがの治療に使われたこう薬、終えんまで河井継之助が使った赤毛布と箱枕を公開した。こう薬と赤毛布は過去に新潟県内で公開されたことがあるが、箱枕をはじめそれ以外は県内初公開となる。
河井継之助の遺品のやりの穂先、戦場で河井継之助の行動を共にした長岡藩大隊長の山本帯刀(たてわき)(1845-68)の大隊旗を展示。記念館に保管されている薬などの蒸留に使われた蘭曳(ランビキ)も展示するが、その箱書きには、文政6年(1823)4月に北越三条駅より求めたとあり、当時、三条と只見の間で品物も人も動いていた証しになると言う。
また、子どもたちに理解してもらうために、長岡市の米百俵まつりの行列に参加し、演劇経験者もいるメンバー約10人で結成した企画展の宣伝隊「チーム八十里越」の2人が、床に伏す河井継之助とそのかたわらで付き添った長岡藩士、外山脩造(1845-1916)の寸劇も披露した。寸劇はアオーレ長岡で行うことは決まっているが、諸橋轍次記念館で行うかどうかは決まっていない。
「長谷川泰を語る会」の恩田利平太理事長は、「この八十里越が子ども達へのすばらしいプレゼントになるように」と願った。また、新潟偉人研究会新潟本部の長谷川安生事務局長は、「八十里越に新たにスポットライトを当てたい」。企画展ディレクターを務めるライターの橋下啓子さんが展示物などを紹介したほか、ことし6日に八十里越を踏破したメンバーがそのようす撮影した動画も紹介した。