東日本大震災の影響で三条市に避難している人への支援を続ける兵庫県豊岡市から3回目となる正月用品などのプレゼントが贈られ、12日に三条市内の61世帯に届けられた。
豊岡市からのプレゼントは、ダイコン、ハクサイ、キャベツ、キクナ、ニンジン、正月用の丸もち、黒豆切りもち、チクワ、サブレ、折り紙の飾り、色紙に書かれた寄せ書きなど5つの団体からの贈り物と中貝宗治豊岡市長からのメッセージ。世帯ごとにていねいに分けた段ボール箱が、前日11日に三条市に到着した。
プレゼントを受け取った福島県南相馬市小高区の松崎トシエさん(73)は、「うれしいです。お正月が来ます」、「ありがたいです。涙がこぼれますよ」と言い、心のこもったものがいちばんうれしいと喜んだ。
自宅のある小高区は、福島第一原発の事故の影響で、日中の立り入りはできるようになったものの今も宿泊ができない地区。「まだ帰れないですよ」と言い、新潟で3回目の年越しを迎える。
暮れから4、5日は泊まることもできるらしいと言うが、ことし10月にようやく震災後初めて一時帰宅し、片づけをしたばかり。「南相馬でお正月に帰ってもいいと言われても、掃除してないし、この前、布団を捨てたし」と、自宅での年越しは難しい。
前日11日が震災からちょうど1,000日。「長いな〜」、最初に避難したときには「半年くらいで帰れると思ってた。それが2年を過ぎても帰れない」と振り返った。
小高区では、小中学校、高校が近くにある住宅地で食料品店を営んでおり、震災の1年前にリフォームした。「あと10年、80歳くらいまでは商売できると思っていたんだけど」。
震災による被害は大きくなく、翌12日には店を開けた。その夜、夕飯を食べようとしたら避難するように放送があり、夕食を食べずに着のみ着のままで家を出た。あれから2年9カ月が過ぎた。
「ここ(三条)にいたらと言われるけど、うちがあるから、どうしても向こうに行きたい」と松崎さんは自宅での生活をあきらめられない。福島に戻ったときに自宅近所の人と会い、店に来ていた子どもたちが「松崎のおばちゃんはどこに行ったの?」と話していたと聞き、涙が出た。「子どもは大きくなるからね」、「向こうに行って会えるかなあと思うけど、(放射能の影響などから)若い人は来ないから。忘れられちゃうかなあ」。
豊岡市の中貝市長からのメッセージは「折にふれて皆様のことを思い出し、激励のメッセージを差し上げることしかできませんが、私たちは皆さまのことを忘れることはありません」、「豊岡の空の下から、豊岡市民とコウノトリとともに、皆様が一日も早く静穏な生活を取り戻されることをお祈りしています。来年が少しでも良い年になりますように」とあった。
また、色紙の寄せ書きには「どうか!どうか!お体を大切にして下さい」とねぎらいや励ましの言葉がつづられており、松崎さんは「がんばらなくちゃって思う」と話していた。
三条市には現在、65世帯154人が避難生活を送っている。今回のプレゼントには野菜などが多かったことから、しばらく留守にしているという4世帯を除いた61世帯に届けられた。
豊岡市の中貝市長は、三条市の国定勇人市長とともに全国の自治体の市町村区長で構成する水害サミットのメンバー。そうした縁で東日本大震災発生の翌月に三条市に避難している小学生にランドセルをプレゼントした。
今回の市長メッセージにもあったように、「避難されている皆様がひとり残らず自立した生活の目途をつけることのできるその日まで全力で支援し続ける」との誓いに深い共感を抱いていると支援を続けており、12月のプレゼントは豊岡市内に避難している2世帯と三条市に避難している人に贈られた。