11日に三条東公民館と三条市歴史民俗産業資料館の2会場で開幕した三条市名誉市民岩田正巳生誕120周年記念展「岩田正巳展」は、残すところ17、18、19の3日間になった。三条東公民館の来場者数は、11日460人、12日688人、13日740人、14日241人、15日305人、そして6日目の16日は午後2時半までで約170人で、延べ2,500人を超えた。
会場では三つ折りにしてA4半サイズとなるフルカラー印刷のパンフレットを配布している。3,100部を製作したが、早ければ17日にも無くなり、週末までもたないため、慌てて1,500部増刷を発注。来場者は関係者の予想を上回っている。
美術を専門的に勉強したわけではないが、素人なりに気が付いたところをいくつか。三条東公民館の大作中心の多目的ホール1は、反時計回りにほぼ制作年順に展示している。おかげで岩田画伯の表現の変遷が見てとれる。だれでもすぐわかるのが、新興大和絵運動に参加していた若いころと晩年の一見、洋画のように見えるまったく異質な作風の2つに大きく分かれるところだ。
初日に作品解説を行った新潟市新津美術館の横山秀樹館長は、その変化の理由を洋画のような作品が好まれる時代の要請があったと解説した。しかし作品を鑑賞するうちに作風を変えざるを得なかったのではないかと思った。
新興大和絵運動の時代の岩田作品の大きな魅力のひとつが線だ。筆で描いたと思えない職人芸のような均一な幅で機械のようにぶれのない見事な線を描く。余白をたっぷりとって衣を必要最低限な線で描いた1941年の『忠盛』は、線の美しさを誇示するかのような、今風に言えば“キレキレ”な感じの作品だ。1943年ころの『楠公桜井之駅図』でも、甲冑の模様を気が遠くなるような細かな描写で表現している。
計算すると当時の岩田画伯は50歳前後。気力、体力、技術などのバランスが最高潮に達した時期だったのだろう。ところが、それから10年ほどたった作品は、誰が見てもわかるくらい明らかに線の質が落ち、衰えている。手元に資料がないのでわからないが、その間に病気でもしたのだろうか。ただ単純に年齢的な問題かもしれない。
漫画家の手塚治虫も晩年、若いころのような線が描けなくなったことを悔しがっていたと聞いたことがある。ペンでもそうなのだから、筆ではさらに難しいに違いない。もちろん、それでも同じような絵を描き続けることもできただろうが、衰えた線を見せることは岩田画伯のプライドが許さなかったのではないか。
60歳以降の洋画風の作品からは、輪郭線が消えている。作風を変えて線を描かなくていい道を選んだのではないか。作風を変えたのは外部からの要請だけではなく、線の衰えを克服するための選択であり、必然だったのではないかという気がしてくる。
1941年の『黒駒』と1939年の大作『木下藤吉郎』は偶然、隣り合わせて展示されている。いずれも人ともに黒いウマが描かれている。両方のウマを見比べてほしい。『木下藤吉郎』に描かれたウマは、鞍(くら)から後ろが切れているので気付きにくいが、両方のウマは同じポーズだ。たてがみや頭に描かれている馬具が異なるが、輪郭線、右前足を上げた角度などは、うり二つ。同じウマのデッサンを元に作品化したことがわかる。
両方とも作品の全体はスケッチしたものではなく、想像力で描かれたもの。当時の日本画家の多くは、さまざまな素材をスケッチしておき、制作では自分で描いたスケッチを組み合わせて作品にした。そうした手法で作画されたことがわかる。会場には岩田画伯のスケッチ帳も展示しており、制作のプロセスを考えながら鑑賞するのもおもしろい。
最も好きになったのは、三条市歴史民俗産業資料館に展示している1948年の第4回日展に出品した『第一歩』だ。真っ赤な着物の赤ちゃんが、まさに第一歩を踏み出して歩き始めようとするところをお母さんが支えているようす。背景を描かずデザイン的でもあるシンプルな構成だが、お母さんの着物の図柄は細部まで精緻に描いている。
一方、その前年1947年の第3回日展に出品した『愛犬』は同様のサイズの縦長の作品。足元に成犬が座り、子犬を抱いている姿を描いたもので、『第一歩』と連作のような作品らしい。『第一歩』は軸装、『愛犬』は額入りだが、『愛犬』も元は軸装だったものを額に直したらしい。『第一歩』は軸装で作品を保護するものがないので、三条市歴史民俗産業資料館のガラスケースの中に展示しているが、この2つの作品は並べて見たかった。
岩田画伯の遺品のなかに、絵の具を溶かすのに使った柄の長いスプーンがある。柄の部分には「CALPIS」と刻まれている。カルピスは水で希釈して飲む乳酸菌飲料。そう言えば昔、カルピスは贈答品にも良く使われた。瓶は紙でパッケージされ、さらにカルピスオレンジなどとのセットで化粧箱に納まっていたと思う。そのときに付属していたのが、このスプーンだっただろうか。カルピスのマドラーにも打ってつけの形状だ。いずれにしろ岩田画伯がカルピスのスプーンで絵の具を溶かしていたかと思うと、親近感がわく。
会場では岩田画伯を紹介する約25分の映像『夢をえがく 岩田正巳』が上映されており、じっくりと鑑賞していく人が多い。在りし日の岩田画伯が創作活動について語る貴重な姿も記録されており、見逃せない。
あらためて岩田画伯の画業や作品群に圧倒された。旧三条市時代の名誉市民第一号にふさわしい日本画壇の重鎮であったことを思い知らされた。それにしても三条市をあげた岩田正巳展の開催が26年ぶりというのは、いかにも間隔が長かった。せめて10年に一度は企画してほしい。
旧三条市では、市民が所蔵する愛蔵品を集めて三条市体育文化センターに一堂に展示する「我が家の愛蔵品展」を毎年、開いていた。26年前の岩田正巳展は、愛蔵品展を休んで愛蔵品展に代えて開いた。三条市には美術館がない。施設がないから本格的な展覧会を開くのは難しいという言い分もあるだろうが、こうした展覧会の機会をもう少し増やしてほしい。