三条シティセールス実行委員会は、4月からの新潟デスティネーションキャンペーンに向け、生誕200周年を迎えた三条にゆかりの幕末の彫物師、石川雲蝶(1814-83)が三条に残した作品をデザインしたポスターを作成した。
B2判サイズのポスターで、左右に雲蝶作品が並ぶ。左に石動(いするぎ)神社の三条市指定文化財になっている神功皇后と武内宿禰(たけうちのすくね)、右に本成寺の柿の実を持つ猿。黒バックが雲蝶の立体感あふれる作品を引き立てている。
中央には白抜きで「鬼才が放つ技の物語。」、左下には金文字で「雲蝶終焉の地 新潟県 三条市」とあり、落ち着いた雰囲気のあるポスターに仕上がっている200枚を作成し、公共施設や関連施設に掲示している。
ことしは雲蝶生誕200周年。それを記念して2月1日から16日まで東京都豊島区で雲蝶作品パネルリレー展が開かれた。江戸雑司が谷で生まれた雲蝶の作品のパネル展を生誕の地「豊島区」から始めて各地を巡回して開かれ、最後はことし10月に雲蝶終焉の地の三条市で開かれる。
このリレー展にも間に合わせる形でポスターを作成し、豊島区の会場では雲蝶が数多くの作品を残した南魚沼市が作成したパネルと対をなす形で展示された。三条市が雲蝶をデザインしたポスターを作ったのはおそらく初めて。
雲蝶は前回09年の新潟デスティネーションキャンペーンでも「越後のミケランジェロ」のキャッチフレーズで大きな反響を呼んだ。雲蝶は三条市・法華宗総本山本成寺の世話人である内山又蔵から本成寺本堂の欄間と納骨堂彫刻の依頼を受けて三条に移り、30代後半で三条の酒井家へ婿入りした後、本成寺をはじめ各地で創作を行い、晩年を過ごした三条に眠っている。