燕市では、学問の神さま“天神”こと菅原道真の命日に学業成就などを願う天神講に供える和菓子が作り続けられている。燕市はそのPRに務めているが、一方で菓子店を廃業したり、天神講の菓子を作らなくなったりして死蔵されている天神講の菓子の木型が多いが、使わなくなった木型で作った菓子を見てみたいと28日、菓子店に眠っている木型を使って別の菓子店が菓子を作るという前代未聞の試みが行われた。
木型を提供したのは、菓子工房ホカリ=燕市地蔵堂本町2=。以前は天神講で粉菓子と金花糖の菓子を作っていたが、手間がかかって体力も必要な金花糖はしだいに作らなくなった。燕市が2月に開いた天神講菓子展にあわせて燕市産業史料館でも天神講の菓子の木型を展示し、菓子工房ホカリからも使わなくなった金花糖の木型を初めて借りて展示した。
そんな縁から菓子工房ホカリの木型を使った金花糖の製作が期待されたが、店主は体力的にも難しという話から燕市が仲介する形で、菓子工房ホカリの木型で皆川菓子舗=燕市吉田仲町=が作ることになった。
菓子店にとってこの木型はいわば企業秘密であり、自分の店で使わなくなっても弟子などでなければ木型を譲ることはまれ。大げさに言えば門外不出だが、今回は天神講の菓子のPRにつながるならと奇跡的に実現した。
皆川菓子舗では、天神講では毎年10種類ほどの金花糖を作っている。菓子工房ホカリから借りた木型は10種類。いつも作っているようにグラニュー糖を湯に溶かして120度まで熱したら、すりこぎでかき回す。それまでは透明だが、空気が入ることによって白くなる。
ゴムバンドで固定した1対の木型のなかに流し込む。木型は水で冷やしてあり、外側から固まっていく。外側全体が固まったと思ったところで、まだ固まっていない液体を注ぎ出す。木型から外すと中が空洞になった金花糖ができあがるというわけだ。ただ、粉菓子は裏が平らで、型に材料を押し込むだけで成形が完了するのに比べ、基本的には立体的に立つ金花糖は、作るのにはるかに手間がかかる。
菓子工房ホカリの木型で、タイ、ネズミが乗った俵、大石内蔵助、ニワトリ、福助、天神、モモ、招き猫などの金花糖が次々とできあがった。皆川菓子舗は創業100年以上。木型もそれくらい歴史があると思われ、サクラなど堅い木材で作られていても板が反るなど傷みが激しいが、菓子工房ホカリの木型は極めて状態がいい。
とくに驚いたのが、タイ。体長20センチ余りで細工が細かく、尾びれを左に曲げた躍動しているような姿は、工芸品のように美しい。興味津々で菓子を作った皆川菓子舗4代目、皆川和男さん(62)は、「わたしもこんなタイの木型があるとは思わなかった」と驚いた。
もちろん、よその木型を使ったのは初めて。「まさか、よそんちの木型を貸してくれなんて言えねー」と貴重な体験を喜んだ。
燕市のPRで、天神講の菓子は地元で着実に定着し、市外への発信力も高まっている。また、金花糖はかつて全国各地で作られていたが、今は金沢や長崎、東京くらいにしかなく、幻の駄菓子とも言われ、燕市は日本三大金花糖のひとつと言っていいほど。燕市の担当は、「これからは菓子自体にも注目していきたい」としている。