11日で東日本大震災から3年になる。その日が近づくたびに地震発生直後のことを思い出す。震災前日と当日のTwitterのツイートを明日、無事、福島、おにぎりの4つのキーワードでまとめたサイト「今日は2011年3月10日かもしれない。」を見つけ、思い出すだけでなくちょっと当時をなぞってみた。
2011年3月10日に撮影した写真を探してみた。三条市・昭栄大橋の市街地側のたもとにある早咲きの白梅を撮っていた。そこに写る白梅は、抜けるような青空の下、花は咲き始めから一分咲き。同じ白梅の3年後の3月10日のようすはどうなっているだろうと見に行った。
3年前より開花は遅く、つぼみはいつ開いてもおかしくないくらい膨らんでいた。つぼみに雪が積もり、時折、雪が強く降った。3年前のこの日の三条の最高気温は4.3度あったが、ことしは1.7度と真冬の冷え込みだった。
さらに写真を振り返った。3年前の10日も夜には雪に変わったようで、夜9時40分ころに天気の記事を書こうと雪の積もった車の写真を撮った。明けて11日。正午ころに田んぼを白くした雪の写真を撮った。これが東日本大震災発生前の最後の写真となった。
そして午後2時46分に震災発生。仕事先へ打ち合わせに出掛けようとカメラとバッグを肩にデスクを立った直後に揺れを感じた。経験したことのない長く大きな揺れに、慌てて本棚が倒れないように押さえた。電話はすぐにパンクするのは間違いない。揺れが収まる前に仕事先へ電話して打ち合わせの延期を伝えた。中越地震、中越地震並みの揺れ、長さはその比ではなく、震源が宮城県沖と聞いて血の気が引いた。
次に撮った写真は午後4時12分、JR燕三条駅前の公衆電話。携帯電話がつながりにくいためか、公衆電話に列ができはじめていた。地震発生から1時半もたっているのに、改札の新幹線の発車時刻を伝える電光掲示板は、地震の影響で各新幹線が運転を見合わせていると表示し、緑の窓口には切符の払い戻しを受ける乗客の列ができていた。
燕三条駅観光物産センター「燕三条Wing」では、テレビに映る津波の映像に利用者がくぎづけになっていた。11日までに撮った写真はそれくらいで意外に少ない。自分もテレビの前で地震関連の報道にくぎづけになっていたんだと思う。
その後は被災地への救援物資の発送や消防職員の派遣、市役所での情報収集や避難者の受け入れ準備。そして16日夜に福島県南相馬市からの避難者が次々と三条市総合福祉センターに到着すると、写真を撮影枚数が一気に増えた。
いつ大災害に見舞われるか、誰にもわからない。そのことを「今日は2011年3月10日かもしれない。」という言葉は見事に表現している。あわせてケンオー・ドットコムの10、11日の時間を追ったツイートを以下に引用する。
■2011年3月10日のケンオー・ドットコムのツイート
■2011年3月11日のケンオー・ドットコムのツイート
=====東日本大震災が発生=====