東日本大震災からちょうど3年の3月11日午後2時46分、全国各地で犠牲者に黙とうがささげられた。多くの尊い命の冥福を祈るとともに、さまざまな思いで3年を迎えた。
三条市も各庁舎で半旗を掲げ、同時刻には館内放送で黙とうを呼びかけた。三条市に避難している人や三条市民などの交流する拠点の「交流ルームひばり」=三条市総合福祉センタ―内=では、献花台を設置し、朝から約60人の避難者や市民が訪れた。
午後2時46分には、福島から避難している人と三条市民の15人ほどが、テレビの政府主催の追悼式とあわせ、被災地の方角を向いて黙とうをささげた。
三条市で避難生活を続ける南相馬市の女性は、「こんなに長くなるとは思っていなかった」。70歳代の男性は、3年目のことしは「いろいろな歯車が動き出し、その歯車に動かされるのでは」、「2年目の昨年とは違う。(肩に)どっしりとくるような、覚悟がある」と、さまざまな判断が迫られる年になりそうと言う。
昼のニュースを見て「交流ルームひばり」訪れた三条市の50歳代の夫婦は、「避難している福島の方たちは、なんにも悪いことをしていないのに」と話した。
黙とうを終えてもソファに座ったままだった南相馬市小高区の80歳代の女性は、「今は無の気持ち、何も話す言葉が浮かばない」。「最近はうつ状態」とゆっくりと話した。
女性は夫婦とも南相馬市出身だったが、県外で50数年暮らした。ついのすみかとして震災前にふるさと南相馬市に家を建て、暮らし始めたばかりだった。震災の5か月前に夫が他界。気持ちの整理もつかないまま東日本大震災、原発事故に見舞われ、望んだわけでもないのに三条市での避難生活。人生も波にもまれるように二転三転した。
それでも3年たてば再びふるさとへ帰れると期待して待ったが、昨年末に避難指示解除準備区域の解除が2016年4月と発表され、肩を落とした。
福島では週に何度も習い事などに出掛けた。三条に来てからはできるだけ散歩したり、外出したりしたが、最近は外へ出ることもめっきり減り、週に1回ていど。「あともう2年なんて、帰れなくなるかもしれない」と健康面の不安も募る。
「交流ルームひばり」に居合わせた人たちから「天気のせいもあるかもしれないよ」と励まされた。「そうね、それもあるわね、あったかくなればね」と自分を諭すように話していた。