燕市は3月31日午後4時半から市役所つばめホールで平成25年度燕市職員退任式を行い、3月31日付けで退職の40人に退職辞令を交付した。昨年5月の新庁舎開庁から初めての退任式で、いわば新庁舎卒業の第一期生となった退職者を送った。
退任式は合併以来、燕市吉田産業会館を会場に行われていたが、やはり職場である庁舎で最後を迎えたいという声もあり、一昨年から吉田庁舎に会場を移した。ことしはもちろん昨年、開庁した新庁舎で行った。
初めての会場なので戸惑う部分もあったが、壁にはプロジェクターで「平成25年度燕市職員退任式」と映し、辞令交付では交付を受ける退職者の名前を映すという趣向も凝らした。
退職者40人は、定年退職25人、勧奨退職11人、任期付職員1人、県教委への転出3人の内訳。昨年より10人多いが、一昨年よりは2人少ない。
先に退職者の記念撮影を行ってから退任式を行った。200人近い職員が集まってぎっしりになったつばめホールに入場する退職者を拍手で迎えた。
鈴木力市長が退職者一人ひとりに辞令書を手渡すと、「ありがとうございました」、「長い間、お世話になりました」と頭を下げて受け取った。
勤続20年以上の対象者に感謝状を贈呈し、鈴木市長があいさつ。鈴木市長は、新庁舎が完成して初めての退任式は「記憶に残る退任式になる」と言い、市民を代表して感謝し、敬意を表した。
「2つのお願い」があるとし、4月から燕市は定住人口、活動人口、交流・応援人口の3つの人口を掲げて取り組むが、退職しても活動人口になってほしいと求め、燕市を離れて別の組織に戻る人は交流・応援人口となって燕市のファン、応援団となって燕市をPRしてほしいと求めた。
退職者代表で田中勝美総務部長が、目を潤ませてあいさつした。田中部長は奉職した昭和40年代後半から50年代は高度経済成長期で、日本列島改造論が出た時代、時がゆっくり穏やかな時代だったが、徐々にスピードが増してついていけないような時代になったと時代のスピード感の変化を表現した。
学びやがなくなったり、施設の統廃合が進んだりしたが、新庁舎開庁して11カ月、健康でこの庁舎で卒業した第一期生として第二の人生のスタートが切れることを喜んだ。
思い出は自然災害の対応。昭和50年代後半の連日の除雪、平成16年の豪雨災害、合併後の19年の中越沖地震、21年の東日本大震災、新潟・福島豪雨。もうひとつは平成の大合併。3市町がひとつになってまちづくりに取り組んだ。
鈴木丸がまだまだ航海を続けて高い目標を掲げている。穏やかな日ばかりではなく、災害も来るだろう。それを成し遂げるひとつは、「お・も・て・な・し」、もうひとつは「お・も・い・や・り」。「その2つを念頭にこれから職務に励んでいただきたい」。先人が言うように、ものをなし得るには才能だけでなく、意欲と能力がその結果を残す。
そして、後輩職員には「これからのまちづくりに精一杯、頑張っていただきたい」、「これからも鈴木市長を先頭にまた素晴らしいまちづくりができることを祈念する」と期待した。
職員から退職者に花束を贈呈し、退職者は大きな拍手に包まれて退場。さらに再び時間外出入り口から退庁する退職者を待ち構えて見送った。
退職者のうち女性3人が和服で退任式に出席した。それぞれの部署ではすでに送別会も行われたはずだが、見送りでも握手したり抱き合ったりして職員同士の立場で最後の別れ。部署の仲間と記念写真を撮ったり、スマホでツーショットを撮ったりする人もいた。