燕署(石口英治署長)は、前庁舎が完成した1963年に鎚起銅器の署看板を製造し、このほどその修繕を行った株式会社玉川堂(玉川基行社長・燕市中央通2)に署長感謝状を贈った。
玉川基行社長(43)と玉川達士工場長(44)が同署を訪れ、署看板が完成した当時に同署に勤務した吉田恭二さん(81)=燕市吉田東栄町=も同席し、石口署長から感謝状を手渡した。
署看板は正面玄関にかけてあり、縦121センチ、横28センチの銅製。鎚起銅器を伝承する玉川堂が、裏からたたいて文字を浮き出させる彫金の技術で製作した。吉田さんによると前庁舎の完成を祝って地元の人たちでつくる協力が寄贈したもので、“燕警察署”とある書は当時の工場長の書家だった弟が揮毫(きごう)したという。
銅は時間とともに緑青が出る。十数年前にも玉川堂が手入れしており、今回はそれ以来2度目。費用は署員の親ぼく会の予算を充てた。正面玄関から署看板を外して4月終わりから5月9日まで2週間足らずかけて修繕した。磨いて緑青や汚れを落とし、化学反応を使った玉川堂オリジナルの手法で深みのある着色を施した。さびてはげたようになった部分もあったが、新品同様によみがえった。
吉田さんは60年ころから燕署の運転手をしていた。当時、協力会で鎚起銅器の看板を贈ることにしたのは「中央銀行の玉橋支店長の発案」と記憶。当時も今の玉川社長の先々代、五代目玉川覚平当主が同じように署看板を指さした写真を撮り、製作には30万円くらいかかったらしい。鎚起銅器の看板はおそらくほかに例がなく、「燕だからこそできたのでは」と吉田さんは言う。
現庁舎は昨年5月に開署したが、もちろん鎚起銅器の署看板も前庁舎から移して設置。玉川社長は「わたしも1カ月前に免許の書き換えに来て、古いなと思ってお声をかけようと思っていたところ」で、タイミングのいい依頼を喜んだ。
銅器は毎日、ふいて手入れをすることでさらに光沢や深みを増す。石口署長は、この署看板が「市民を守っているわれわれの仕事見てくれているんだという象徴。燕署の象徴、燕市の安定を見舞ってくれている」と言い、「若手警察官の育成という意味合いで、この看板のいわれを思いながらから拭きをしたい」と語った。