彼がどう思っていたかは知らないが、親子ほども年が離れているとはいえ、彼のことは友だちだと思っていた。たまたまテレビのニュースが伝えた名前を聞き流していた。翌日になってそれが彼のことだと教えられ、絶句した。新潟市の関屋浜海岸で見つかった遺体は、三条市島田1、田村大(たむらゆたか)さんだった。
地元では、名前は知らなくても彼を知る人は多かった。三条マルシェなど市内のイベントに出没してはオタ芸を披露してくれていた。地元ではオタ芸を目の当たりにする機会はめったにない。最初は目が点になる人もいたが、いつしかすっかり人気者になっていた。
彼を初めて見たのは、三条マルシェか何かのイベントで体育館の会場だった気がする。サイリウムと呼ばれるペンライトを手にオタ芸を踊っていた。さすがに最初はひいて見守っていたが、誰にでも気軽に話しかけてきて、気さくで正直、まじめな性格に、いつの間にか仲良くなっていた。
昨年10月の「みんくる」のハロウイーンパーティーでは、「No Job」とか書いてある変なTシャツとヘルメットで笑わせてくれ、ことし5月の下田郷レンタサイクルのオープニングイベントには手伝いで参加しており、新潟のメイド喫茶に連れて行ってくれるという固い約束を交わした。生前の彼と会ったのは、これが最後になった。
大さんは昨年秋、三条マルシェと連携して若者でつくるイベントがそのまま組織になった「まんなかフェス」のメンバーになった。行方不明になる前日26日は、三条市下田地区で行われたジュニアリーダーズクラブ三条主催のサマーキャンプで、まんなかフェス会長でもある同クラブ会長の近藤雅哉さんの仕事を手伝っていた。
まんなかフェス事務局の中村健太さんは、「まんなかフェスを背負って立ってくれる男だった」。大さんより1学年上で、高校は違ったが同じ三条地域学生ボランティア連絡会会員として先輩、後輩の古い仲だった。「(大さんは)メンバーのなかでも特攻隊長的な役割で、その姿を見て頑張ろうという人が多かった。得意な踊りなどを生かしてこの町を盛り上げて生きたいと話していた」と悔やむ。
大さんは27日、新潟市内で行われたコスプレイベントの打ち上げで仲間と関屋浜海岸へ。ひとりで泳ぎに行ったまま帰らなかった。翌28日午前6時半ころ、防波堤のそばで浮いているのが見つかった。
「子どものころから良く海へ連れて行ったので泳ぎは得意だし、海の怖さも十分、知ってるはずなのに…」。父の一幸さん(57)は大さんが亡くなったことはもちろんだが、おぼれたことも信じられないでいる。大さんは一幸さんの長男。建築設計業を営む父の仕事を手伝い、その右腕となりながら宅建や簿記の資格を取ったばかり。これからが働き盛りだった。
一幸さんは29日になってもほとんど眠れていない。「行方不明になってからずっと同じ1日が続いている感じ」と言う。行方不明になった翌朝は、日が昇るのも待てず午前4時半から家族で海岸へ行き、捜索作業を見守った。家族が待つなかで見つかったことに一幸さんは、「降っていた雨があがって虹がかかったときに見つかった。つらいはつらいけど、早く見つかって良かった」。
東京にカメラマンとして働く弟の与(ひとし)さん(30)は「空気が読めない兄だったけど、かわいがってくれた。やりたいことをやって楽しんだんだったら、それも良かったと思う」。与さんは、帰省するたびに大さんが小遣いだと、こっそり1万円くれたことを明かした。隣で聞いていた一幸さんは「えっ?。初めて聞きました」と目を丸くした。亡くなって初めて知る弟思いの大さんの一面に一幸さんは声を詰まらせた。
最後に一幸さんは「友だちに会ったら、元気でいったんで、今でも元気だと言ってください」と話した。通夜は30日午後7時から、告別式は31日午前10時半からいずれも三条市役所通りのVIPシティホール県央で行われる。