燕市宮町・戸隠神社(星野和彦宮司)の拝殿の鈴が、ぴかぴかに磨き上げられた。30年余り前に奉納されてから手入れされたのは、おそらく初めて。星野宮司は「式年遷宮で金座(かねざ・かねくら)に新宮が遷(うつ)て潮の目が変わった」と喜んでいる。
今回も言い出しっぺは宮町の自治会長、竹井満喜子さん(71)。竹井さんは、ことしに入って住居表示の変更で正式に生まれた「宮町」の祈願祭を戸隠神社で行ったり、戸隠神社境内で「つばめ七夕祭り」を行ったりと、このところ戸隠神社をからめた取り組みに積極的だ。
竹井さんは拝殿の正面、向拝の屋根の下につり下がる鈴が、さびて真っ茶色になっていた。いちばん底の部分はまるで着色したかのように見事に緑青(ろくしょう)色に変わっているが気になっていた。「盆にお仏器も磨いてるし、いくらでもさびが取れっこて」と簡単な気持ちで、子どもたちから鈴を磨いてもらおうと思いついた。
「そのことを夏休みの自由日記に書いてもいいし、これからを担う子どもたちが神社に関心をもつきっかけになれば」と考えた。7月29日に戸隠神社での早朝のラジオ体操に集まった子どもたち10人余りに呼びかけ、降ろした鈴を研磨剤や布などいろいろな道具を駆使して磨いた。
ところがどっこい、予想よりもはるかに大仕事で、作業はいっこうに進まず、いつ終わるのか見当も付かない状況に。見かねた竹井さんの友だちが、メッキ屋に頼んでくれて8月8日、見違えるほど鏡のようにぴかぴかになって戸隠神社に戻ってきた。9日にお祓いを行い、近く業者に頼んで再びつり下げる予定だ。
きれいなった鈴は、銅製と思われていたが、真ちゅう製だった。表面には「昭和五十八年五月」、「戸隠神社創祀参百年祭記念」、「萬燈組 池之端 木場小路 宮の浦」とある。昭和58年(1983)なので、それからことしで31年。以来、おそらく初めての手入れだった。今も続く万灯組の3つの町内が奉納したことがわかり、寄進した奉納者の名前も刻む。
竹井さんにとっては、奉納はそれほど昔のことではないが、鈴の奉納の理由は今回、初めて知った。「鈴を磨いてたら、おじいちゃんの名前だって言う子もいて、家庭でそんなことを話題にしてくれたとしたら、それだけでも良かったんじゃないか」と竹井さん。あとになって三条市・八幡宮では毎年、有志でつくる敬神会が三条祭り前に鈴を磨いていることを知り、「こんがに汚れる前に定期的に磨けばいいんだよね」。また、ついでに鈴と一緒に下がる鈴緒も新しくできればと考えている。
昨年の伊勢神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)で、東の敷地「米座(こめざ・こめくら)」から西の敷地「金座(かねざ・かねくら)」に新宮が遷った。「それから世の中の潮の目が変わってきたと思う」と話すのは、星野宮司だ。
昨年は拝殿の社号額が修復され、新しいさい銭箱が奉納された。ことしは境内の天満宮にある撫で牛(なでうし)の2代目が奉納され、昔つくった戸隠神社のキャラクター「つばくろ」のみこしが奉納された。
「そのどれもわたしがお願いしたわけではないのに崇敬者(すうけいしゃ)の方から、直させてもらってもいいだろうか、奉納させてもらってもいいだろうかと話があった」と星野宮司も驚いている。
「これは金座に変わって経済がうまく回り始め、皆さんが神さまの加護を実感するようになっているからでは。皆さんとともにこの先も楽しみにしていきたい」と経済復興への期待感を強めている。