兵庫県豊岡市は、三条市に東日本大震災の避難所が開設された直後から、三条市に避難する子どもたちへランドセルを寄付し、暮れにはもちの寄付を続けており、このほど三条市に避難している人たちが同市を訪れ、中貝宗治市長をはじめ各団体に感謝の気持ちを伝えた。
豊岡市は、阪神・淡路大震災と、7.13水害と同じ2004年に台風による大水害を体験している。中貝市長は三条市の国定市長とともに、大きな水害を体験した全国の自治体の市町村区長が集う「水害サミット」の中心メンバーでもある。
そんな縁もあって東日本大震災で三条市に避難所を開設してまもなく、国定市長はかばんの産地豊岡市の中貝市長に、新年度を前に着の身着のままで避難してきた子どもたちのランドセルの寄付を打診。中貝市長が地元に呼びかけてランドセル60個と中学生にリュックサックを避難している子どもたちに寄付した。その後もコメや野菜と応援のメッセージを毎年、三条市で暮らす避難者に贈るなどの支援が続いている。
その感謝の気持ちを直接、伝えたいと三条市内の避難者と市民のボランティアでつくる組織「さんじょう∞ふくしま『結』の会」(佐竹紀代表)などからおとな8人と中学3年生男子2人が豊岡市へ向かった。
8月23日早朝にマイクロバスで三条市を出発し、午後2時半ころに豊岡市立コウノトリ文化会館に到着。3時15分から豊岡市の中貝市長はじめ、兵庫県鞄工業組合、一般社団法人豊岡鞄協会など三条市の避難者の支援に協力する10の参加団体の代表らと面談した。
佐竹代表が、三条市に避難して4年目となる今も続く支援に「まだ忘れられていないことが励みになっている」と感謝の言葉を伝え、ランドセルが贈られた当時は小学6年生だった現在中学3年生の馬場一真君は「その恩に恥じないような行動をしていきたい」、菊地翔生君は「ランドセルとかをもらい、みんなも喜んでいました」と中学生の2人が礼を述べた。
中貝市長からは、避難が長期化しているが心を強くもってほしい、今後も関係を続けよう、子どもたちは来春の受験勉強も頑張ってほしいと言われ、励まされた。
24日に人と防災未来センター=神戸市=などを見学して三条市に戻った佐竹代表は「ひとつの区切りができたといううれしさ」、「お礼が言えたことで、前に向かっての弾みができた」と話していた。豊岡市側の参加団体は次の通り。豊岡市の参加団体
▲豊岡市▲兵庫県鞄工業組合▲一般社団法人豊岡鞄協会▲兵庫県米国小売商業組合但馬支部▲二方蒲鉾株式会社▲豊岡市土地改良協議会▲ヤマト運輸▲農業生産法人株式会社Teams▲ボランティアグループ支縁の和▲但馬農業協同組合