長岡市栃尾文化センターで12日から30日まで栃尾蒐集家(しゅうしゅうか)列伝第二弾展示「鬼物蒐集癖」が開かれている。平安時代に旧栃尾市の軽井沢集落に生まれたと伝わる鬼、茨木童子(いばらきどうじ)を40年余りにわたって研究する佐藤秀治さん(67)=長岡市滝の下町=が集めた鬼にまつわるコレクション約800点が一堂に展示されている。
茨木童子は、酒呑童子(しゅてんどうじ)のいちばんの家来だったとされる。酒呑童子は燕市分水地区の砂小塚に外道丸として生まれ、のちに茨木童子とともに京都の大江山へ移り、暴れたと伝わる鬼。
茨木童子に襲われた武将、渡辺綱が茨木童子の腕を切り落として持ち帰り、その腕を綱の乳母「真柴」に化けた茨木童子が綱をだまして取り返すという伝説が能や歌舞伎になって残っている。茨木童子を慕う女性から届いた地塗りの恋文の血をなめて鬼と化したという伝説は酒呑童子のそれに似る。
佐藤さんは元中学校美術教諭で、郷土史を研究するうちに鬼の研究をライフワークとするようになった。2000年には研究資料集『軽井沢茨木童子』を出版。その後、佐藤さんの著作で『鬼の系譜』(文芸社)や『鬼で読み解く江戸川柳』(パレードブックス)が出版されている。
コレクションは幅広い。豆菓子「でん六」のおまけの赤塚不二夫が描いた紙でできた鬼の面、鬼に関する書籍、鬼がデザインされた美術品や工芸品など。たくさんあるのが主に九谷焼の杯「鬼福杯」で、外側が鬼、内側が福にしたもので、「鬼は外、福は内」というわけだ。
手の平に載る大きさの鬼の鋳物がある。鬼は鉄との関連があり、鉄工や鍛冶の神ともされる。三本指の鬼が四つんばいになった形で、長岡市の鉄工所の社長が所有し、懐中仏にしていたという。鋳物師が鉄の出る山に人が立ち入らないよう鬼が出ると言って山伏の格好をしていたとも言われるようだ。また、鬼が三本指なのは、愛情と知恵の2本の指がなく、知恵のある烏天狗(からすてんぐ)や河童(かっぱ)は4本指だとも言われる。
三条市の六角巻凧が展示されているが、そこに描かれた武者絵は、酒呑童子を征伐した源頼光(みなもとのよりみつ)。かぶとに顔のように見えるものがあるのは、首だけになっても源頼光のかぶとにかみついている酒呑童子だ。
三条市名誉市民の紙塑(しそ)人形作家、鶴巻三郎(1908-2005)の習作「茨木」も興味深い。渡辺綱から腕を奪い返して飛び去る乳母に化けた茨木童子をモチーフにしている。鶴巻三郎は時代とともに作風を具象から抽象へと変化させたが、初期の具象作品の多くは幼女がテーマ。老女であることだけでも珍しく、髪や衣をなびかせた躍動感あふれる表現も含めて貴重な作品だ。
今回の作品展は、会場の長岡市栃尾文化センターの指定管理者、NKS・TRC共同事業体が主催。佐藤さんは展示の依頼を受けて初めて鬼のコレクションを一堂に公開した。
佐藤さんは、江戸から三条へ移って木彫を続けた石川雲蝶の研究も行っており、ほかにも研究、調査したい分野がある。鬼のコレクションで家のなかはいっぱいになっており、「鬼のコレクションはもう終わり。数点を残してあとは手放してもいい」と言う。
佐藤さんひとりで“栃尾文化遺産研究室”を名乗り、栃尾観光協会のボランティアガイドも務める。心配なのは、郷土の歴史や文化を研究する担い手がいないこと。「郷土の研究は世代が変わりつつあるのに、定年延長で60歳を過ぎても定年にならず、担い手が育たない。自分ひとりでさわれることだけさわろうと思っているが、今回の展示が後に続く人が生まれるきっかけになれば」と願っている。
毎日午前9時から午後5時まで開場。また、20日午後1時から同センターで佐藤さんを講師に「鬼物トークショー」が行われる。トークショーも含めて観覧は無料。問い合わせは同センター(電話:0258-52-2020)へ。