三条信用金庫は19、20の2日間、2011年から実施している東日本大震災の被災地でのボランティア活動を行い、宮城県南三陸町での農業を再び始めるための作業で15人の職員が活動した。
被災地の一日も早い復興をと、同金庫では職員に参加を呼びかけ、震災から9カ月後の2011年12月に宮城県石巻市で初めてボランティア活動に取り組んで以来、今回で計6回になり、延べ89人の職員が参加した。
今回は陣内純英常務理事はじめ男性10人、女性5人の計15人が参加。活動場所の南三陸町は、津波により600人余りが亡くなり、住宅の半数以上が全壊の大きな被害を受けた。一行は、「南三陸町災害ボランティアセンター」の指示により、津波で100戸ほどの集落がほぼ全滅状態になったという戸倉地区で、農業支援活動を行った。
ボランティアに参加した白倉徳幸人事教育部次長は、東日本大震災の記憶は被災地以外ではだいぶ風化しており、ボランティアの数も減っているなか、「むしろ、(重機などではできない)こまごまとした人手は、これからも必要なのかもしれない」と言う。
戸倉地区は、がれき置場となっていた場所。がれきを撤去したあとは、津波による塩害などもあることから集落全体の表土を削り取り、その上に山土を敷き直した土地という。遠目に見ると段々畑か棚田のようにすでに整備されているように見えたが、実際は山を崩して持ってきただけというような粘土質の土で覆って、重機などでならした造成地のようなもの。
活動場所では、周辺に建物はなくビニールハウス5棟があるだけ。切花用のキクの栽培を始めるという夫婦2人の農家のビニールハウスで、その中の土づくりを支援した。深さ20センチほどの粘土質の表土(山土)の中に入っている大小の石を取り除く作業を行った。トラクターや耕運機などで入ると土や石ですぐに修理が必要な状態になるという。
ハウス内の作業は、事件捜査をする鑑識のように横1列になって行った。作業は思うより大変で、粘土質の土は、田んぼのように足がぬかるような状態で少し移動するのにも苦労した。
その土の上にしゃがみこみ、ピッケルを何十回も土の奥まで突き刺して石を探し、取り除いた。1時間に1メートルほどしか前進できないような悪条件で、石の運び出しなどほかの作業もあったが、15人が1日かけてハウスの4分の1ほどしか進めない厳しい作業だった。
白倉さんは、現場ではミミズなどの虫が1匹も出てこなかったと話した。農家が何十年もかけて作ってきた土までもすべてなくなり、ようやく土づくりから始めようというところでの作業で、生活の再建はまだこれからと認識を新たにした。この日は、漁業関係への支援にほかの団体20人ほどがボランティアに参加しており、労働力の手伝いが必要と感じたという。