「成人の日」の12日、ことしも「成人の日」の13日、燕市・吉田地区老人クラブ連合会(平原厳一連合会長)は燕市シニアセンターよしだで熟年成人式を行い、還暦の60歳から数えて20年になった満80歳の会員82人を対象に2回目の成人と長寿を祝った。
熟年成人式は、旧吉田町老人クラブが平成8年に当時の会員が二十歳になったときにはなかった成人式に代えて還暦から20年の熟年成人式をという発想で始めた。燕市合併後も毎年行われており、ことしでちょうど20回目。熟年成人式自体も“はたち”になった。
ことしの対象は昭和9年4月2日から翌10年4月1日まで生まれた会員で男35人、女47人の82人。そのうちほぼ7割の男24人、女34人の58人が出席した。それぞれにちょっとおしゃれし、男性はスーツにネクタイがほとんど。女性は和服も目立ち、胸にリボンをつけて席を並べた。
ステージに連合会旗と日の丸を飾り、「君が代」と「一月一日」を斉唱して開式。平原連合会長は式辞で、対象の会員は長い間、苦楽を共にし、その後は老人クラブの活動に協力してくれたことに感謝し、「今後とも連合会や各単位クラブの活動に引き続きお力添えくださるようお願い申し上げる」と期待した。
鈴木力市長は、3年前に亡くなった自身の母も今回の対象者と同じ昭和9年生まれで、この日は家を出る前に仏壇に向かい、母の代わりに熟年成人式に行ってくると言ったことを紹介。対象者がはたちを迎えた昭和29年は皇居の一般参賀で将棋倒しが発生した二重橋事件で幕を開け、国際プロレス大会が初めて蔵前国技館で開かれ、美空ひばりの「ひばりのマドロスさん」、春日八郎の「お富さん」が流行したことなど、調べてきたことを紹介した。
なかでも大切なのは昭和の大合併で、平成の大合併で燕市になった吉田町は昭和29年に米納津村と粟生津村と合併。さらに燕町、小池村、小中川村、松長村が合併して燕市が誕生。国上村、地蔵堂町、島上村が合併して分水町が生まれた。
平成の大合併で生まれた燕市を発展させようと頑張っているところで、今後も指導を求めるとともに、「これらも皆さま方が実りある、いい人生をこれからも健康で過ごすこと」を祈った。
熟年成人者への記念品を代表の渡辺竹子さん(79)=溝古新=に贈呈。熟年成人者を代表して金子潤一さん(80)=大保町=は謝辞で「光陰矢のごとし、あっと言う間の80年のような気がする」とし、80年の歩みを振り返った。
70年前の玉音放送で子ども心に終戦を知り、戦中戦後の食糧難に悩まされたが、その後、三種の神器が家庭に普及して生活が変わり、新幹線や高速道の活動で想像できないほど生活が豊かになった。
一方で新潟地震、中越地震、中越沖地震を体験し、さらに三条市の7.13水害、東日本大震災、原発事故は記憶に新しい。なかでも「70年前の第2室戸台風はものすごい風だった。これはびっくりした」。老人クラブができる前の年の三八豪雪は2.28メートルも積雪があったことなどを振り返った。
「そんな恵まれたなかで、これから1日1日を大事にして健康に留意しながらおいしい酒を飲めればいいかなと思う。吉老連のためにいささかでもお役に立てればありがたい」と話した。
式典のあとはごちそうに舌鼓を打ちながら、同センターで開かれている歌謡、民謡、詩吟などの教室に通う人たちによるアトラクションを時間を忘れて楽しんでいた。