旧燕市の喫茶店の代名詞といえる「六朝館」の本店=燕市白山町2=が15日で閉店し、昭和55年(1980)のオープンから35年の歴史に幕を引く。閉店を明らかにしてから連日、閉店を惜しむ人でにぎわっている。
燕市内の曙産業をはじめ数社が共同出資して「飛燕ビル」を建設し、その1階で「六朝館」をオープンし、その後、曙産業の所有となった。道路をはさんで向かいに旧燕市の市役所庁舎があり、ランチタイムは市役所の職員でにぎわった。
和洋の幅広いメニューを用意し、クオリティーの高い料理を低価格で提供。加えて美術品のコレクターとして知られる曙産業の大山治郎会長が店内にコレクションを展示し、美術鑑賞しながら食事ができる。「六朝館」の名称は当時、大山会長が入手した六朝時代の菩薩の石像に由来する。
2006年にそれまでの燕市、吉田町、分水町が合併して新しい燕市が誕生すると、旧吉田庁舎が本庁舎となり、旧燕庁舎はその分庁舎となった。さらに13年に新庁舎が完成すると燕サービスセンターだけを残してそれ以外の機能はすべて新庁舎に移り、旧燕庁舎はまったく使われなくなった。
これらは予定されており、集客力が低下し、ビルの老朽化もあることから、「六朝館」の移転を計画し、数年前に「ビストロ & cafe 六朝館」=燕市井土巻=を大山治郎コレクション美術館と併設してオープンした。
本来ならそれにあわせて本店も閉店するところだったが、地域や常連客から存続を求める声が強かったため、営業を継続してきた。ただ、ホームページでは「しばくらの間、閉店」としており、再開の可能性がゼロではない。閉店を前に退職した従業員もあって手が足りず、2月3日以降は午前10時から午後6時までの昼営業だけとしている。
本店でパートで働く伊藤マサ子さん(67)は唯一、オープンのときからずっと本店で働いている。それ以前は曙産業で時々、働いていたが、本店オープンにあわせてスタッフのひとりとして呼ばれた。店長になったこともあり、35年間、ずっと「六朝館」とともに歩んできた。
「閉店が決まってから毎日、大勢の人が来て惜しんでくださり、しのびない」と伊藤さん。「最盛期なんか市役所に出前して必死でした」と懐かしみ、「老いるまで働いていると感心されることもあるが、さすがに年を感じることもあります」と笑う。
閉店後は再び曙産業で働く予定。ビルは地震でひびが入ったところや雨漏りするとこもあるが、取り壊しの予定はないとのことで、「とりあえずいったん閉店させていただき、これから何かの役に立てるように考えていただけるのでは」と願う。