【小耳聞き耳】シーナが死去、多摩美のオールナイト・ロックコンサートの思い出 (2015.2.15)

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シーナが死去した。椎名ではない。福岡出身の4人組のロックバンド、シーナ&ザ・ロケッツのシーナだ。子宮頸(けい)がんで14日、死去したという。61歳だった。

 シーナ&ザ・ロケッツのオフィシャルサイト
シーナ&ザ・ロケッツのオフィシャルサイト

東京での大学時代、何度かステージを見た。強烈に覚えているのが、多摩美の八王子キャンパスで行われた学園祭に出演していたときだった。深夜のライブだったと思う。4つ上の大学の友だちが運転するいすゞのジェミニに乗って向かった。すでに外は暗かったと思う。

検索してみるものだ。ここまで書いて一応、当時の情報がネットにないか検索したら見つかった。70年代中期から90年代末まで開かれた多摩美オールナイトロックフェスだ。しかも80年であることまでわかった。ネットの力、おそるべし。RCサクセションも出ていたようだが、すでにこのときまでに何度もライブを見ていたので、シーナ&ザ・ロケッツだけが強烈に印象に残ったようだ。

夜になってこのコンサートの情報を見つけ、急きょ、出掛けることになったと覚えている。中央高速に乗り、これがユーミンが歌う中央フリーウェイか、などと思いながら、人里離れたキャンパスに到着した。はっきり覚えていないが、貧乏学生だったので、連れてってくれた友人の顔で会場に入れてもらったのか、関係者のふりをしたのか、チケットをごまかしたのか。とにかく、まっとうに金を払っていない気がする。

長身の夫、鮎川誠。その隣りで歌うシーナ。化粧が厚く、素顔は良く分からない。バドワイザーガールのように丈の短いワンピースを着ていたと思う。うまい、へた以前に、とにかくかっこ良かった。

ひとつだけはっきり覚えているシーンがある。ちゃんとしたホールじゃなかったのだろう。ステージは袖から出入りするのではなく、正面にある階段を使った。演奏が終わってステージを下りようとしたシーナ。片手を前に出して動かない。何をやっているんだろうと不思議に思っていると、しばらくしてスタッフを階段の下から手を差し出すと、その手につかまってステージを下りた。

ヒールが高くて実際に危険だったから、手を差し出してくれるまで待っていただけなのかもしれないが、その姿があまりにもシーナのキャラクターにぴったりで、ますますかっこいい。理屈ではなく、存在がすでにロックだった。うっとりして帰ったような記憶がある。

新潟へ帰ってからも一度だけ、再び見ることができた。30年以上前になるだろうか。三条市にあるライブハウス「ロケットピンク」の前にあった「ビッグ・ビート・ホール」でシーナ&ザ・ロケッツのライブがあった。大学時代に見た印象とまったく変わっていなかった。

当時、会場で撮った写真を手元に残していた。結構、最近までその写真を部屋に投げてあったが、何かと一緒に捨ててしまったのか、見当たらない 。猛烈に悔しい。

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