11日で東日本大震災から4年になるのを前に、震災直後から避難者を受け入れている三条市で7日、ことしも東日本大震災追悼式典が行われ、避難者や市民80人余りが参列して犠牲者を追悼し、被災地の一日も早い復興を願った。
三条市とさんじょう∞ふくしま「結」の会が共催。ことしも三条市総合福祉センターの1階ロビーに献花台を設け、国定勇人市長をはじめ、三条市に避難している人など市内外の避難者、三条市民などが参列。被災地の方角に向かって全員で黙とうをささげ、避難者代表と国定市長が追悼の言葉を述べ、献花した。
避難者を代表して、福島県郡山市から避難し、三条市の小学校に通う6年生鈴木アロハさん(12)が追悼の言葉を述べた。「私はあの時のことを今でも忘れることはできません。怖かったからです。私は悲しい気持ちでいっぱいでした」と振り返った。友人の家で地震に遭った。急いで自宅へ向かう途中で倒れた電柱や崩れた家を見た。自宅は傾いて荷物が散乱し、電機も水道も止まり、夜は真っ暗だった。
仕事の都合で避難できない父と別れ、母と弟の3人で新潟に避難した。新しい学校で友だちができ、慣れていったが、「郡山の友だちのことを思い出すと心が痛く感じます。そしてこの地震で亡くなった人たちが天国で安らかにいてほしい」、「私はもう二度と地震が起こらないことを願って、これからも頑張っていきたいです」と願った。
国定市長は、失われた尊い命に哀悼の意を表し、被災者を心から見舞った。4年間で現地は復興が進んだと思われがちだが、現実はそうではなく、「この現実を決して忘れず、多くの人から知っていただき、協力の輪を引き続き広め続けていくことがこれからいっそう大切になっていく」と現実を正しく理解する必要があるした。
一時帰宅にあわせた復興ボランティア派遣のボランティアや兵庫県豊岡市から続く支援に感謝し、「三条市はこれからも支援を継続し、避難者の最後のひとりまで応援することをあらためてお誓いを申し上げます」。市内の避難者は一周年追悼式典の際は272人で、今は141人。「新たな場所でスタートされた方々、そしてこれから三条市で新たな一歩を踏み出されようとする方々の未来が力強いものとなることを心から念じてやみません」と述べた。
青空が広がったこの日、東側に設置された献花台には穏やかな春の日差しが差し込んでいた。参列者は一人ひとりが白いキクの花を手向けて手を合わせたていた。