燕市成人式が15日午後2時から燕三条地場産業振興センターで開かれ、平成6年4月2日からの1年間に燕市で生まれた、あるいは住んだことのある対象の新成人978人のうち76.9%に当たる753人が出席し、はたちの門出を祝った。
ここ数日、真冬同然の厳しい寒波が続いていたが、この日にあわせたかのように抜けるような青空に恵まれ、最高気温は三条で9.9度の穏やかな天気が新成人を祝福した。
式辞で鈴木力市長は、ことしの新成人は阪神淡路大震災が発生した年に生まれ、10歳のとき新潟県中越地震が発生したため、節目の年齢になるたびに「あの震災から何年」と語られる。
成人になるとは「さまざまな権利を得ると同時に地域社会の一員としてこれからの時代を担っていく義務と責任が生じることでもある。自分や家族だけでなく地域社会のことにも目を向けてください」と求めた。
景気低迷や少子高齢化など課題が山積し、とりわけ地方都市の人口減が深刻。平成27年を地方創生元年と位置付けて地域の再生や活性化に向けた取り組みを始める。
きょうという日を「あらためて自分の人生の目標を定めるととともにこれからの社会に対し、どう行動していったら良いか一人ひとりが真剣に考える大切な日にしてもらいたい」と願った。
テニスの錦織圭選手が小学校の卒業文集に世界チャンピンという夢を目指して頑張ると書き、世界ランク4位にのぼり詰めたことを話し、「10年後、あなたはどこで何をしていますか」と問うた。新成人が生まれた年は日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんが宇宙へ飛び立った年でもあり、「何ごとも恐れず果敢にチャレンジしてください」と求めた。
錦織圭選手の飛躍はマイケル・チャンコーチのおかげと言われる。努力と挑戦の先には必ず飛躍的な成長や成功が待っている。自らの力で困難を乗り越えてほしい。
地方を創生し日本の新しい未来を築くには新成人ような若い世代の力が必要として、つばめ若者会議や燕市出身の若者でつくる「東京つばめいと」への参加に期待。「わたしはきょうの成人式を契機に君たちがそれぞれの自分の夢や希望に向かって歩んでいくとともに、これからの燕市、あるいは日本の新しい時代を切りひらいていく推進役となってくれることを心から期待している」と述べた。
「二十歳の決意」で新成人の大学2年斎藤隆雅さん=吉田中出身=は、子どものころに想像したはたちの自分の姿と比べ、世間や社会を知って「何でもできるように見えた自分が、何もできないちっぽけな自分に見えてしまった」と誰もが経験する幼少期の万能感の喪失にふれ、「おとなになるからこそ子どもでいたい」。それはモラトリアムではなく、「子どものような好奇心をいつまでももっていきたい」、「すべてが輝いて見えて心からすべてを楽しんでいたあのころの自分の姿を考えると今の自分は何かが足りないような気がする」と心の内を話した。
そして「何かひとつ、これだけは絶対に誰にも負けないというものを追求していきたい。これがわたしの人
生ですと、ほかの人にはもちろん、そして何よりも10歳のころのわたしに言えるようなおとなになりたい」とした。
大学2年飯野智里さん=燕中出身=は、5年前の生徒総会で副会長として最後のあいさつをしたときの原稿を紹介。さまざまな感情を共有した友だちがひとりでも欠けたら今の自分はないと書いてあった。自身も今は大学で出会ったかけがえのない仲間と活動している。衝突することもあるが、それも互いを思ってのこと。「おそらく10代、20代で得た出会いは一生もの。今までの出会い、そしてこれから出会うであろう人たちを大切にし、お互い支え合いながら歩んでいきましょう」と述べた。
式典のあとはアトラクションの抽選会を行い、中学校時代のクラスごとに記念写真を撮った。新成人は、いつもながら男性はダークスーツ、女性は振り袖が圧倒的で、一部に羽織はかまの人も。ことしのニューカマーは自撮り棒。友だちに頼んでスマホのシャッターを押してもらうこともできるが、自撮り棒なら好きなアングルから好きな構図で撮ることができるところがお気に入りのようだ。
天気が良かったこともあってか、終わってからも新成人はなかなか帰ろうとせず、ロビーや玄関前での立ち話が尽きなかった。ただ、好天の割には出席率は昨年の79.4%を2.5ポイント下回った。