今の燕市吉田地区、粟生津村にあった私塾「長善館」を開いた燕市名誉市民の漢学者、鈴木虎雄博士(1878-1963)にまつわる話を聞く講演会が20日、粟生津体育文化センターで開かれ、地元を中心に100人以上が来場する盛況だった。
燕市と長善館史料館の主催で「みんなの長善館タイム」として毎年開かれており、ことしで3回目。毎回、100人前後の来場を集めており、鈴木博士に対する地元の関心の高さが表れている。
講師はこれまでと同じく三条市・諸橋轍次記念館研究指導員の佐藤海山さん。「鈴木虎雄博士ゆかりの石碑をたずねて−台湾紀行−」をテーマに講演した。
鈴木博士は昭和36年から1年ほど台湾日日新報社から漢文欄主筆に迎えられたことがある。佐藤さんは2、3年前に台湾に渡ってその足跡を調べたことがあり、ことしもこの3月6日から9日まで台湾を旅行し、鈴木博士の足跡を調べた。
吉田松陰の妹を主役にした放送中のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」 にちなんで、吉田松陰が長善館の近くに来たことがあることから始めた。日記によると21歳のときに友人の肥後藩士宮部鼎蔵と東北地方をめぐり弥彦大明神を参拝。北前船に寺泊、出雲崎、佐渡、出雲崎をへて山形へ雪道を行き、荒天で船に乗れず足止めに遭ったとある。
鈴木博士が台湾へ渡った理由は、養子縁組の問題が裁判沙汰にまでなったこともり、逃避行だった。出席した人たちは、文化勲章をはじめ数々の栄誉に輝いた鈴木博士の人間臭いエピソードに親近感をもちながら聴き入っていた。そのあとは、鈴木博士が読んだ台湾の阿里山の和歌、鈴木博士が書いた碑文などに話を進めた。