藤井大輔&芳輔の鉄道コラム「鐵道双見」
廃止から30年、消えた「弥彦東線」東三条−越後長沢間の痕跡を探訪 (2015.3.3)

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昭和60年3月31日、「弥彦東線」とも呼ばれた東三条〜越後長沢間の約8kmが廃止となりました。あれから今年でちょうど30年となります。廃止された弥彦線の跡は現在国道289号のバイパス路線となっています。廃止から30年が経過した姿を探訪してきました。

東三条駅

現在東三条駅は0番線から3番線まであり、弥彦線は主に0番線から発着しています。しかしかつての東三条駅は0番線がなく、その代わりに4番線と5番線があり、弥彦線はここから発着していました。現在弥彦線のホームがあったところは南口として利用されています。

東三条駅
東三条駅

写真左側にかつての弥彦線のホームがあった。/かつての弥彦線は東三条を出発するとゆるやかに右にカーブして下田へと伸びていた。

越後大崎駅跡

東三条駅から2キロで越後大崎駅跡に到着。その他の駅とは違って駅があったことを知らせるものは残されていないが、道路の幅が広くなっているため、駅跡をたどることができる。

越後大崎駅跡
越後大崎駅跡

写真右側に線路があり、左側に駅舎があった。駅舎跡には派出所が建てられた。/駅があったことを知らせるものはなにもないが、電柱の表示板に「大崎駅」の文字が残されている。

駅間

越後大崎駅跡から次の大浦駅跡の間にはかつて鉄道が走っていた痕跡がいくつか残されていたためいくつか紹介します。

駅間
駅間

道路の山側にはレールを再利用した柵がいまも現役。/草むらの中には起点の弥彦駅から20.5キロ地点を示すキロポストが横たわっていました。

駅間
駅間

国道へつながる小道。かつてこのあたりに踏切があったのでしょう。/五十嵐川にかかる清流大橋。かつては弥彦線の鉄道橋でしたが、廃止後に道路橋へと架け替えられました。

大浦駅跡

越後大崎駅跡から3キロで大浦駅跡に到着です。駅跡は「ひめさゆりパーク」という名前の休憩施設になっています。

大浦駅跡
大浦駅跡

「弥彦線大浦駅跡」と刻まれた石碑。/ひめさゆりパークはバス停も併設されているがバス停の名前は「大浦」ではなく「高岡」となっている。

越後長沢駅跡

大浦駅跡から鉄道線跡らしい直線道路を走ること3キロ弱で越後長沢駅跡です。この駅があった頃には、弥彦線は起点(弥彦)と終点(越後長沢駅)のどちらも乗り換え路線を持たないという全国でも珍しい路線でした。

越後長沢駅跡
越後長沢駅跡

バス停の名前は「長沢駅跡」と/駅跡に立つ交番の脇にかつて駅があったことを知らせる石碑があります。

越後長沢駅跡

弥彦線跡はここで終わり。旧下田村の中心部はここからもう2キロほど進んだところにあります。

懐かしの写真

懐かしの写真
懐かしの写真

廃止直前の越後長沢駅。普段は人の姿まばらなこの駅も廃止直前には多くの人が詰めかけていたようです。/廃止直前の越後大崎駅。昔はこんな小さな駅でも駅員さんがいました。

懐かしの写真
さよなら運転のヘッドマークが装着された国鉄キハ58形気動車。景色の中に雪がまだ残るさよなら運転だったようです。

あれから30年。弥彦線は少し短くなったものの今もこれからも乗客を乗せて走り続けます。

(藤井芳輔)


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