三条市諸橋轍次記念館では、5月いっぱい同記念館で特別展示「荒沢小学校 校歌へこめた希望」を開いおり、平成25年度で閉校になった荒沢小学校から寄贈を受けた漢学者諸橋轍次博士(1883-1982)が作詞、揮毫(きごう)したが作詞、揮毫(きごう)した同校校歌やそれに関連した資料など12点を展示している。
荒沢小は2014年3月で森町小に統合され、閉校した。諸橋博士の父、安平はのちに荒沢小となった尋常科四ツ沢小学校の初代校長を務めている。諸橋博士が作詞、揮毫した校歌は、ほぼ畳1枚分の大きさの2点がある。1点は今回、寄贈された体育館に飾られていたもの、もう1点は以前から同記念館が収蔵しているもの。
諸橋博士は何点か書いて寄贈したものと思われ、この2点を並べて展示しているので、違った漢字が使われている部分を見つけることができる。
広島県出身の教育者で、童謡詩人だった葛原しげる(1886-1961)から届いた書簡を展示している。書簡は諸橋博士の原稿に葛原が赤字を入れて修正を勧めたもので、「大地にどっしり座を“かため”」を“しめて”、「“いつでも動かぬ”高い山」を“姿もりりしい”といった具合だ。
諸橋博士は大漢和辞典を完成させたばかりのころ。東京高等師範学校(今の筑波大)で後輩に当たる葛原に指南を仰いでいることに、諸橋博士の謙虚さ、校歌にも質の高さを求める思いの強さなどを感じることができる。
ほかには、作詞についてい当時の下田村の早川源一郎村長にあてた手紙、当時の中島福松校長にあてた手紙、諸橋博士が新校舎設立のときに書いた門標用の字、安平が板に「歳寒而後知松柏之後凋」と書いたものなどを展示している。