燕市宮町、戸隠神社(星野和彦宮司)の春季例大祭が16日を宵宮、17日に本祭と行われるのに向けて、万灯を繰り出す木場小路万灯組と横町万灯組の2つの万灯組の練習が本格化。本番まで毎晩、練習を重ねており、近隣に祭りばやしを響かせて祭りが間近いことを告げている。
万灯は縦横約3メートルの大きな台車の中央に灯ろうを載せ、そのてっぺんから色とりどりの紙で作る花で飾った数十本のタケをしだれのように垂らす。若連中が綱を引いて町内を回り、万灯の上では太鼓や笛で祭りばやしを演奏し、それにあわせて「ひょっとこ」と呼ばれる男の子が扇子を広げて踊る。
そして最も注目を集めるのが小学生の女の子の踊り。若連中が歌う「伊勢音頭」に合わせて踊り、木場小路万灯組は“お玉さん”、横町万灯組は“踊り子”と呼ぶ。春祭りのアイドル的存在だ。
木場小路万灯組は戸隠神社のある宮町の万灯組で、1812年ころの発祥とされる。お玉さんの練習はそれ以前から行っているが、全体練習は10日、ことしも“宿”と呼ぶ戸隠神社裏の集会所で始まった。お玉さんは新人3人を小学校1年生から6年生までの12人。それぞれに色とりどりのけいこ用の着物を着て、4人のひょっとこと3人の金棒の男の子と一緒に練習した。
若連中の総代は、これまで長く2人体制だったが、昨年の2人の総代のうち沖坂正喜さん(40)=水道町2=はことしは顧問となり、小林健夫さん(39)=水道町4=ひとりが総代。小林さんはことしで4年目の総代となる。
総代がひとりになることで「指揮系統がはっきりする」と小林さん。しかし、ことしは沖坂さんに頼ることはできず、何ごとも自分ひとりで決断しなければならない。「その分、気をつけることは増えるし、責任を強く感じる」と気を引き締める。「祭りを見に来てくれる人に戸隠神社の元気を届け、幸せになってほしいという願いを込めて万灯を務めたい」と自分に言い聞かせている。
横町万灯組の文字通り昔の横町と呼ぶ町内の万灯で、木場小路万灯組より何年か遅れて始まったと言われる。当初は上横町、下横町、中横町が順番に横町の万灯を出していたので、3年に1度しか順番が回ってこなかったが、40年ほど前から合同で行っている。
練習場所は、ことしも第一生命燕ビル1階の駐車場で、11日から毎晩、練習を行っている。踊り子は新人1人を含む小学校3年生から5年生までの12人。そろいの踊り浴衣で練習する。木場小路万灯組はお玉さん以外は男性だけだが、横町万灯組は女性も参加でき、踊り子を卒業した中学生や高校生が笛を手にふらっと練習会場を訪れてはやしに参加する。
総代は毎年、交代しており、ことしは笠原伸司さん(43)=幸町=で、「ことしは特別な万灯になる」。長く横町万灯保存会の会長を務めていた石黒克裕さんがことし3月、75歳で死去した。「亡くなってもことしの万灯は石黒会長の名前のもとに繰り出す。石黒会長の弔い万灯にしたい」。その気持ちを「見てれね。おめさんがいねたって、ちゃんとやるっけ」と表現する。
さらに17日に燕市文化会館で開かれる燕市PR大使のフルート奏者、本宮宏美さんのコンサートに万灯で初出演する。福祉施設などいろいろな場所で万灯を披露するが、コンサートのステージとなるとめったにない。笠原さんは「総代は1回しかないから特別。ぽかはできない。たくさんの総代を見てきて、自分にできないわけはないと思っている」と自身を鼓舞して本番に臨む。