スノーボードに乗って水上スキーのように水の上を滑る感覚のスポーツ、ウェイクボード。そのトッププロだった栗田鉄夫さん(44)=福岡県久留米市=が燕市出身であることはあまり知られていない。今はボートでウェイクボーダーを引っ張るトーイングやインストラクターとして後進を育成、ウェイクボードの普及に努めている。
身長は173センチと平均的だが、引き締まった体と日焼けした肌は言われなくても一目でアスリートとわかる。広い肩幅、骨太なのは父親ゆずり。ひげをはやしたいかついイメージとは対照的に明るくさわやかだ。
ウェイクボードを始めたのは20歳代後半になって間もなく。趣味のバイクで世話になった人に誘われて出掛けた柏崎市の海で初めてウェイクボードを体験して、すぐにその魅力に引き込まれた。ボートやジェットスキーに引っ張ってもらい、波を使ってジャンプなどのトリックを決める。
「水の上を走る爽快感。ボードに乗るバランス感覚もおもしろい。スノーボードは自分だけのスポーツだけど、ウェイクボードは少なくともジェットスキーやボートを操縦している人が見ていてくれる。人に見られて自分が主役になれる快感や満足感がある」と栗田さんは話す。
ちょうどそのころ、三条市大島に信濃川でウェイクボードやボードに足を固定しないウェイクスケートを体験できる「モンキートラップ」がオープンし、そこで腕を磨いた。そのうちに長岡市のショップの勧めで本格的な大会に出るようになった。
サラリーマンでありながら月1回、本格的なトーイングで滑れる山梨県の河口湖へ通って練習を重ねた。それまでスポーツの経験はほとんどなかったが、ウェイクボードを初めた翌年のシーズンには日本ウェイクボード協会のプロ資格を取得して競技選手の登録会員に。プロ1年目にしてシーズン最後の全国大会で初優勝を飾る急成長をとげた。
プロ2年目のシーズンはサラリーマンをやめてウェイクボードに専念。2年間、長野県の野尻湖に住み込みでトーイングやホテルで働きながら競技生活を続けた。その後、スノーボードとビンディングを製造する燕市のアクトギアからジャパンブランド「EFFECT」の立ち上げに誘われて関連会社に数年、勤務した。
仕事で九州へは出張スクールやデモで何度も足を運ぶうちに、九州が肌に合い、温暖なのでシーズンオフがなく、いろんなきっかけもあって熊本県へ移住し、さらに今も暮らす久留米市に移って10年近くになる。筑後川でウェイクボードのトーイングを主な仕事にしている。
プロは5年前にやめた。国内ランキングは3位を3年ほど続けたことがあり、全国に知られる揺るぎないトッププロだった。やめるときでも5位以内をキープした。アジア・オセアニア地区の大会に日本代表で出場したこともある。国内大会では優勝こそ少ないが、2、3位は数多い。
競技では一般に行きと帰りで5回ずつジャンプや技を決めるが、「どうしても最後で難しいトリックに挑戦したくなる」と栗田さん。優勝するために守りに入るよりも、つい「自分に勝つこと」を優先してしまう。「無謀と言えば無謀」と苦笑いするが、それが栗田さんの魅力でもあるのだろう。
「今でも現役と変わらないくらい滑れることを目標にしている。滑りの質を落としたくないし、楽しんでやってる」。言葉通り5月に筑後川で行われた九州ウェイクボードサーキット第1戦ではオープンクラスで10歳代からの若い選手たちにまじって準優勝。体力は衰えても技や頭は今も進化を続けている部分があると言う。
米国のボードメーカー、リキッドフォース社の日本チームの一員として相談役のような立場にある。Tシャツなどアパレルのブランド「Tam Tam」を立ち上げている。
昨年、初めて兵庫県芦屋会場で開かれた「JAPAN WAKE GAMES」が、ことしは7月31日から8月2日までの久留米会場とあわせて2会場で開かれる。久留米会場での開催にはもちろん栗田さんもかかわった。若い選手には「自分のために向かっていってほしい。そういう選手を見守っていきたい」と話している。
栗田さんは年末年始くらいしか帰省することはないが、そのたびに「モンキートラップ」には顔を出す。「モンキートラップ」ではウェイクボードもウェイクスケートもできるが、経営者の横山信之さん(44)はウェイクスケートが専門。栗田さんがトップアマチュアだった時代に試乗会で知り合った。
「栗田さんは古いお客さんが慕っているし、絶大な指導力がある」と言い、栗田さんがプロを退いてからも後進の育成や競技の普及に貢献してくれることに期待している。