燕市宮町、戸隠神社の星野和彦宮司は、秋まつりの9月中旬までに境内に“平成の寺子屋”と呼ぶ教化施設を建設する。建設費用は戸隠神社ではなく、星野宮司が負担。「日本の文化や伝統を伝える場にしていきたい」と、現代の私塾として成果に期待している。
建設するのは1、2階とも約40平方メートルの木造総二階建て。社務所と授与所のあった建物を取り壊した場所に新築する。本来は社務所と授与所もつなげて建設の計画だったが、都合で社務所と授与所部分は建設が遅れことになり、待っていられないため、先に平成の寺子屋だけ建設し、神社の社務所と授与所は後で増築する。
すでに古い社務所と授与所の建物の解体はほぼ終わり、その後、平成の寺子屋の建設に取りかかる。完成後は星野宮司の後継者となる渡辺大蔵権禰宜(ごんねぎ)の妻、志保さんが特技の琴の教室を開き、渡辺権禰宜はハワイのヒロ大神宮で宮司を務めた経験を生かして英語教室を開く計画だ。
星野宮司は昭和56年暮れに戸隠神社宮司に就任した。2年後の58年には戸隠神社の創始300年祭が行われたが、そのころからいつか教化、研修施設をつくりたいという考えがあった。それというのも企業人に日本的精神、日本的経営を指導する国民精神研修財団(今の日本文化興隆財団)で研修担当の事務職員を務めた経験があった。その地方版、戸隠神社版をと考えていた。
戸隠神社で建設しようと初めて総代に話を出したのは、平成元年。しかし費用を伴うことでもあり、総代の理解を得られないまま時間だけが過ぎたが、すでに四半世紀。いつまでも待ってはいられず、ならば負担を求めずに自費でと腰を上げた。
解体作業中に境内で、1対の夫婦岩や手水に使ったと思われる水晶の原石が見つかった。境内を入って左手の天満宮、菓祖社、幸福稲荷神社の3社が並ぶ名付けて“ご利益コーナー”に置いた。新たなパワーストーンにと期待する。
地震で上の部分が落ちたままになっていた石灯ろうは、今から240年以上も前の天明2年(1782)の奉納であることがわかり、これもご利益コーナーに。たまたま最近、星野宮司が銅製の龍神像を譲り受けたので、池の中のほこらに納め、あわせて名前がなかった池を“龍神池”と命名した。
「あまりにも日本人の心が乱れきっている」と星野宮司は憂える。平成の寺子屋は「後継者のめども立ち、地域に対する恩返しであり、義務、奉公です」と言う。教化施設にとどまらず、「まちのにぎわいをつくったり、地域コミュニティーの中核機能としても活用したい」。
「わたしの夢見枕に表れた。40年も宮司をやっていると、あんあことやったらいいよ、こんなことやったらいいよ、まちのにぎわいのために何とかしろと常に神さまに言われた」。戸隠神社を活用した町の活性化を考える市民団体「プロジェクト市」との連携も考えており「今の時代にふさわしいにぎやかで楽しい燕の広場にしたい」と願う。
また、ご利益コーナーや池に手を加えたことで「これまで運勢的に池はマイナス要因で、死気が漂うと感じるものがあり、埋めようとも思ったが、今のその反対。運気がわき出る泉になった」と戸隠神社やまちの隆盛に期待している。