2004年の7.13水害からちょうど11年の13日、9人の尊い命が失われた三条市では、11年前に五十嵐川の堤防が決壊した場所の五十嵐川水害復興記念公園で水害犠牲者に黙とうをささげた。
三条市では堤防が決壊した午後1時15分に、庁舎内でも放送で職員と来庁者に呼びかけて黙とうしている。水害から5年目の09年に同公園に慰霊之碑が建立されてからは毎年、同所に献花台を設置している。
ことしも慰霊之碑の前に献花台を設置。猛暑日となり、立っているだけで汗が噴き出す暑さのなか、国定勇人市長、佐藤卓之県議、藤田博史県議、森山昭市議会議長はじめ市議、唐沢俊郎三条地域振興局長、市民など30人近くが参列した。
午後1時15分に、五十嵐川の水が流れ込んだ曲渕方面を背に建つ慰霊之碑に向かって黙とうをささげ、順に白いキクをたむけて手を合わせた。
献花式のあと国定市長はインタビューに答え、「ハード、ソフト両面に全力で力を注ぎこむことによって、できる限り被害を軽減させるということが、われわれにできる唯一無二の供養の仕方だろうと思っているので、そういうとことを含めてきょうは誓いを新たにさせていただいた」。
また、11年が経過した水害の風化について、「ハード、ソフトそれぞれの対策が進めば進むほど、水害というのが過去のことになってしまうのが世の常」とし、おとなに水害を風化させないためにも、「いちばん伝播力のある子どもたちにしっかりと水害の恐ろしさを知ってもらい、家庭や地域に戻って言ってもらうような、防災教育を進めていくことが大事」と話した。
三条市一ノ門、竹内秀司さん(80)は、7.13水害で堤防決壊前に一新橋付近から川の水が流れ込んで被害を受けたことは「忘れられない」と話した。当時、家具店を経営しており、この被害が「商売をやめるきっかけになった」。妊娠していた末娘が家の片づけを手伝っていた光景をきのうのことのように思い出し、おなかの中にいた孫もすでに小学5年生。時の流れを実感していた。