規模の大きさや芸の多様さでは近郷で類を見ない燕市吉田地区の下中野集落に伝わる神楽舞が、16日午前9時から集落の鎮守、諏訪赤坂神社境内で披露される。1998年に「下中野御神楽舞」として県指定無形民俗文化財となっており、同神社の移転、新築を祝って5年ぶりに奉納される。
神楽を舞う35人の舞子をはじめ、役員、師匠ら合わせて60人からなる神楽連中によって、午前9時から1時間半余りにわたって神楽舞を奉納する。それぞれ2人1組になって舞う、小中学生が担当の「棒舞」高校生から20歳くらいまでが担当の「太刀舞」で始まる。
続いて「外郎売(ういろううり)」、「神楽舞」、「バラ舞」、「ウズラ」、「獅子舞」と披露する。外郎売は江戸時代の二世市川団十郎が演じて評判をとった演目と同様なものと言われる。そもそも下中野御神楽舞は、外郎売が外郎を売るために始めたという説もある。
バラ舞いは“ウズラ”と呼ばれるひょっとこが眠った神楽を起こして最後には神楽に追いかけられるというユーモラスな舞。ウズラ舞は“ウズラ”と称する鳥刺しが鳥を捕まえるしぐさをこっけいに演じる。いずれも素人とは思えない質の高い芸を見せてくれる。
奉納に先だって予行演習として前日15日夜、午後7時半から本番とまったく同じ衣装で同じ舞を披露する。
下中野御神楽舞の起源は明かではないが、明治の初めでさえはっきりせず、江戸時代から続いているのは間違い。一説には江戸初期から300年前から続くとも言われる。
加えて興味深いのは、不定期であること。神社の祭礼で奉納することで伝承されるのが一般的だが、下中野御神楽舞の祭礼とは関係なく、地元で慶事を祝って奉納される。そのため7年から10年ほどの間を置いて奉納される。下中野町内会館の改築を祝って奉納された。
もっともそんなに地元で慶事があるわけではなく、全国的な慶事にちなんで行うこともある。前々回の奉納は前回から8年前。愛子さまの誕生を祝って奉納された。今回は国道116号の自転車歩行者同整備の拡幅に伴って116号沿いにある諏訪赤坂神社の境内と社殿が用地買収にかかっため、社殿が移転、新築された。
諏訪赤坂神社は116号が建設されたときにも移転している。当時は曳家(ひきや)で社殿をそのままの状態で移動したが、今回は建物が古くなって移動できなかったため新築した。
集落から移転した人たちにも集落に戻ってふるさとの神楽舞を見てみらおうと、たいていは盆に行う。新社殿の引き渡しは10日に行われたばかり。新築を祝った奉納なので、工期も逆算して神楽舞直前に完成するように設定されたようだ。
練習はそれぞれの舞と太鼓・笛の8つの班に分かれて早いところでは5月の相賀型連休明けから始め、7月から音合わせし、8月8日に4回目の最後の全体練習を行った。その後も班ごとに練習が続いている。12日夜は奉納に向けた最後の役員会も開いた。
10年近くも間が空いたら伝承が絶えてしまうのではと心配になるが、神楽連中の代表、総務の会社員渋木正明さん(56)は、「卒業した年配の人も教えるし、下手なことをしたら黙ってはいない」と言い、先輩の厳しい目がある。
かつては、ほかの町に盗まれないように人目につかないように、夜にこっそりと練習した。それほど集落にとっては守るべき大切な伝統だった。「とくに7、80代の年配の人が楽しみにしていて、絶対に残してくれと言われている。嫁で外へ出た人も盆に里帰りして昔を懐かしんでくれる」と渋木さんは集落の思いをつなぐ5年ぶりの奉納を楽しみにしている。