燕市吉田地区の下中野集落に伝わる県指定無形民俗文化財の神楽舞が「下中野御神楽舞」が16日、集落の鎮守、諏訪赤坂神社の移転、新築に伴う慶賀祭奉祝行事として同神社境内で5年ぶりに奉納、披露された。
神楽を舞う35人の舞子をはじめ、役員、師匠ら合わせて60人からなる神楽連中によって、午前9時から1時間半余りにわたって神楽舞を奉納された。一行は神社から100メートルほど離れた下中野町内会館を出発して神社まで行列。境内に入って鳥居をくぐる前の参道で、まず中学生が担当の「棒の舞」、高校生から20歳くらいまでが担当の「太刀舞」を披露して境内に入った。
神楽連中の代表、総務の会社員渋木正明さん(56)が、「われわれ神楽連中は、神楽舞を通して地域の平和と五穀豊穣を祈願すると同時に先人たちのご労苦に思いをはせ、感謝の念と後世への伝承を胸に本日、諏訪赤坂神社に神楽舞を奉納し、ここにご披露申し上げます」とあいさつしていよいよ神楽舞の本番だ。
再び「棒の舞」と「太刀舞」を披露したあと、「外郎売(ういろううり)」、「神楽舞」、「ウズラの舞」、「獅子舞」と披露した。「外郎売」は江戸時代の二世市川団十郎が演じて評判をとった演目と同様なものと言われ、かつては薬とされた外郎を外郎売が傘を差し、せんすであおぎながら口上を述べて歩き、上巻と下巻があって、下巻では早口でまくしてるような口上がおもしろい。
「神楽舞」は下中野神楽舞の中核をなす演目。2人1組で神楽獅子となって舞を披露したあと4人になり、ゆっくりと眠りにつく。そのまま「ウズラ」ひょっとこの面をかぶった“ウズラ”と呼ぶ男が、神楽獅子の鼻先で錫杖(しゃくじょう)と短棒をこすって起こそうといたずらする。目を覚ました神楽獅子は、何度かウズラに飛びかかり、最後にウズラを追いかけながら退場する。
再びウズラが登場すると“鳥とり”に移る。ウズラは笠を鳥にかぶせてつかまえる。盛んに観客に鳥を捕まえたことをアピールし、自慢して回る。ウズラは縁起物とされ、観客は次々と手を伸ばしてウズラと握手し、最も演者しばらして笠の中を見ると鳥がいなくなっている。今度は2人1組の獅子が登場し、ウズラは獅子に背中をかまれて退散すると「獅子舞」の始まりだ。
獅子の頭や尾の動き、後ろ足を跳ね上げる動作はまさに四足獣。一度、横になってから立ち上がると見上げるような高さになっているデングルマと称する曲芸もあった。最後は下中野の宮路正春自治会長の万歳三唱で締めた。
下中野御神楽舞の起源は明かではないが、江戸時代から続くのは間違いなく、江戸初期の300年前から続くとの説もある。神楽は神社の祭礼のたびに奉納され、伝承されるのが一般的だが、下中野御神楽舞は祭礼と関係なく、地元で慶事を祝って奉納される。今回は下中野町内会館の改築を祝って奉納されて以来、5年ぶりだった。
一般の神楽は舞殿の限られらたスペースで抽象的な舞を演じるが、下中野神楽舞は写実的で子どもでもでわかるようなストーリー仕立ての演目もある。舞と同時に解説も行うので、初めて見る人でも興味深く鑑賞できる。
本番前夜にもまったく同じ演目で予行演習を行ったが、本場も予行演習も200人以上が訪れて見物した。ビニールシートを敷いて場所取りしている人もあり、笛や太鼓のはやしにあわせて手拍子したり、ウズラのこっけいな動作に大笑いしたり、見事な演技に歓声を上げたりしてたっぷりと楽しんだ。
岩室温泉の和菓子店「小富士屋」の名物お母さん、武藤チヨさん(72)は、初めて下中野神楽舞を最初から最後まで見た。チヨさんは下中野出身で岩室に嫁いだ。「祝いごとなんかあると、みんな菓子を頼んでくれなさるもんで」と見物客に店の菓子を用意した。
下中野神楽舞は帰省した人たちにも見てもらおうと、原則として盆に行うが、「盆は店も忙しいし、若かったから今まで途中しか見てねーの」とチヨさん。今まで見てきたほとんどの舞子の顔になじみがある。「じいちゃん、父ちゃん、せがれさんと三代の顔を想像しながら見て、本当に感激してます」と大満足だった。