国内最年長99歳の現役彫金師、小柳柳山(本名・柳之輔)さん=燕市白山町1=の87年に渡る職人としての足跡をたどる作品展「小柳柳山 彫金展」が4日から27日まで燕市産業史料館で開かれており、小柳さんが独立した21歳から現在までに製作した26点を展示している。
小柳さんは1916年(大正5)8月12日、今の三条市四日町に生まれ、1928年(昭和3)に明治から昭和にかけて燕市の名人として名をはせた彫金師、広田広正(1880-1959)の弟子となった。21歳で独立して以降は弟子をとらず、今なお彫金一筋で働き続けている。
100歳を機に初めて小柳さんの作品を一堂に集めて開かれている作品展。ただ、小柳さん自身、100歳と思い込んでいたが、直前になって銀行の手続きでまだ99歳と気づいたというおちゃめな一面があるが、数え年でことしは百寿だ。
彫金は金属の表面を鋼鉄製ののみ、“たがね”という道具を使って絵画や文様、文字などを彫る。したがって金属を彫る技術もさることながら、書画を極めた達人こそがなし得る技法だ。
年季明けした21歳のときにいわば卒業制作として作られた作品を展示している。その後の作品と比べても決して見劣りせず、あらためてこの作品を見た小柳さん自身が「すごい」と若かりしころの自分の技にあらためて驚いたほどだ。
1978年制作の彫金額「文殊菩薩」は、ダイヤ、プラチナ、ヒスイ、金、銀、赤銅など宝石や数多くの金属が埋め込まれている。最新作は100歳記念のつもりで彫ったきせる「龍」で、今も衰えぬ腕を見せている。
戦時色が深まって1937年(昭和12)に銅の使用禁止令が出された。小柳さんはちょうど独立したころ。そのため一時期、営業を断念して1940年(昭和15)に東京の宮内省御用達の凌霜堂軍刀店に勤務して軍刀のつばを彫金した。
自身は体が小さかったこともあって徴兵されることはなかったが、多くの友人を戦争で失った。それもあって菩薩をテーマにした彫金が多く、小柳さんの仕事は英霊への鎮魂の一面がある。1977年(昭和52)に長岡市百問堤に建立されたビルマ方面戦死者慰霊碑は、当時の君知事が揮毫(きごう)した「鎮魂」の文字の彫金を施した。その記念に贈られた銅のつぼに小柳さんが彫金を施したものも展示している。
初日4日は鈴木力市長が見学に訪れ、小柳さんは鈴木市長が来るならと会場で鈴木市長を待った。耳が遠いものの、質問にしっかりと答える小柳さんの元気なようすに鈴木市長も目を細めていた。
6日は午後2時から小柳さんが語り手、同史料館の斉藤優介学芸員が聞き手となって作品解説会を開く。会期中の休館日は月曜の7日、14日と24日。開館時間は午前9時から午後4時半まで。入館料はおとな300円、子ども100円。問い合わせは同史料館(電話:0256-63-7666)。