燕市の合併10周年記念事業として23日、燕市PR大使のフルート奏者、本宮宏美さん(31)がメーンテーマをはじめ全編のサウンドトラックを担当した映画「夢は牛のお医者さん」の上映会が開かれ、約400人が来場した。
映画は「夢は牛のお医者さん」になるという夢を真っすぐに追った新潟県の山あいに住む少女の26年間に密着したドキュメンタリー。日本テレビ系列で全国放送された番組を映画化して昨年、公開された。ぴあ映画生活初日満足度調査第1位、地方の時代映像祭2014放送局部門「選奨」受賞、2014年キネマ旬報ベストテン文化映画部門第3位など数々の賞を受けている。
映画の上映のあと、時田美昭監督の舞台あいさつと本宮さんのミニコンサートも行われた。時田監督は加茂市出身、テレビ新潟の社員で、報道記者だった時代から主人公の少女を撮り続けた。
舞台あいさつで時田さんは1987年、廃校になる新潟県松代町莇平地区で行われたウシの卒業式の取材を始め、ウシの世話をしていた小学校3年生の少女が「夢は牛のお医者さん」になる夢を抱いたが、実現は難しいと思っていたことなどから話した。
しかし少女は高田高校へ進学し、岩手大学へ進むために猛勉強していると聞き、取材を再開した。「夢を信じられなかった自分を申し訳ないという気持ちを込めて取材をお願いした」と時田さん。
少女は望み通り岩手大学へ進み、獣医師になった。番組では獣医師の国家試験に合格し、少女の夢がかなったとしめくくったが、本人から夢はかなったのではなく、まだ始まりと言われた。夢のゴールはないかもしれない、あるとすれば一人前の獣医になることで、それには少なくとも10年かかると言われ、取材を継続した。
2004年の新潟県中越地震で少女の育った地域も大きな被害を受け、そのようすを取材した。そして11年の東日本大震災。東北地方の被災地にこの映画を届けたいが、テレビ番組では県内でしか放送できない。そこで映画化を思いつき、被災地の仮設住宅でも上映会を開いたことを話した。
ことし4月には日本映画批評家大賞でドキュメンタリー賞に輝き、昨年度の国内のドキュメンタリー映画でいちばんになったことも同賞のトロフィーも披露して報告、感謝した。
続く本宮さんのミニコンサートでは、作曲したときのエピソードをまじえながら映画の挿入曲を30分近くにわたって披露した。コンサートでアコースティックギターを担当した本宮さんが所属する音楽事務所「オトノハコ」の笠原厚浩社長も時田監督と同じ高校で同学年という縁がある。
来場者は、ウシと別れる小学生の純粋な涙や岩手大学、獣医師国家試験に合格の知らせるシーンなどを追体験するように目を潤ませ、ときにはユーモラスなシーンに笑ったりして鑑賞。時田監督が舞台に立つと大きな拍手を送っていた。