ことしの「燕三条 工場の祭典」は全然、工場を回れないなと思っていたが、やっぱり回れなかった。工場の祭典にぶつけて開かれた全国産業観光フォーラムをはじめ、工場の祭典の期間中に燕三条地域ではさまざまなイベントが行われた。おかげで工場の祭典の取材に割ける時間がこれまでになく限られ、過去3回の工場の祭典でいちばん工場を回れなかった。同時に記事を書く時間も少なかったので、こうしてまとめて書いてしまおうというわけだ。
昨年のレセプションから工場の祭典のシンボル、斜めのストライプを工場にプロジェクションマッピングで彩る試みが行われた。それを昨年は見られなかったので、ことしこそ見ようと思った。
オープニングのオフィシャル・レセプションでの三条別院のあと、2日の庖丁工房タダフサ、3日のスノーピークHeadquarters、4日の諏訪田製作所のレセプションのプロジェクションを見た。ピンクのストライプで彩られた建物は、ふだんとはまったく異なるイメージが圧巻だ。
ピンクのストライプを表示するだけなので一見、単純なようだが、実際には複数台のプロジェクターを使ってストライプがずれないように調整して広い面積に投影する。ただ、プロジェクションマッピングと聞くと東京ディズニーランドのシンデレラ城のプロジェクションマッピングなどを見ている人も多いだけに、動きのあるものを想像した人が多く、オフィシャル・レセプションでは、三条別院の前でプロジェクションマッピングがいつ始まるのかと、30分以上も待っている人もいた。
タダフサは工場の外だけでなく、内部もプロジェクションマッピングで彩った。レセプションのなかで工場の一角に設置した同社で製造する包丁を販売するショップのオープニングセレモニーを行った。
テープカットならぬ同社のパンくずがほとんど出ないパン切り包丁を使ったパンカット。曽根忠幸代表取締役をはじめ、工場の祭典のアドバイザーのメソッドの山田遊さん、パン切り包丁のコンサルティングを手掛けた中川政七商店の中川淳さん、国定勇人三条市長らで細長いパンを切ってにぎやかに。トークライブもあり、盛りだくさんレセプションだった。
スノーピークは、巨大なHeadquartersの壁面の全面がピンクのストライプで埋め尽くされた。プロジェクターの前に立つと、巨人のように大きな自分の影が壁に描かれ、大喜びではしゃいで影で遊ぶ子どももいれば、おもしろい影を工夫して記念写真を撮るおとなもいて、プロジェクションマッピングの新しい遊び方を発見していた。
レセプションでは、先に工場見学を行った。同社の人気商品、焚火台の製造工程をオープンファクトリーで間近で見学。来場者は目を輝かせて説明を聞いていた。レセプションはストアと本社をつなぐ屋根のある部分で行い、山井太社長も顔を出した。山井社長は一緒に記念撮影を求められて引っ張りだこで、まるでスノーピークとファンとの交流会だった。
諏訪田製作所は工場を中心にプロジェクションマッピングが行われた。レセプションには、工場の祭典実行委員会の主要メンバーが多く参加した。ビンゴ大会をも行われ、工場の祭典全体のクロージング・レセプションとでもいうような、4日間を終わって皆さんお疲れさまでした的なリラックスした雰囲気に包まれていた。
まともに工場を見学したのは、玉川堂以外は閉幕ぎりぎりに見学した最終日の午後の相場紙器製作所くらいだった。ろう引きの名刺サイズの箱を作るワークショップと見学が行われていた。
千葉県に住む女性は両親と3人で3、4日の1泊2日で工場を回り、ここではワークショップに参加していた。新幹線で訪れたので、移動は弥彦線の本数が少なくて大変だったが、工場の祭典はいいアイデアで、「田舎の感覚のなかに企業が点在しているのもおもしろいと思った」と話した。
また、東京から訪れた夫婦は夫が途中で合流し、妻はなんと4日間毎日、工場を回った。「三条市が大好き」と公言してはばからず、何度も三条を訪れており、三条市民かと思うほど三条市に詳しかった。その後、諏訪田製作所のレセプションにも参加し、最終の新幹線まで粘って燕三条を味わい尽くしていた。
取材とは直接関係ないが、相場紙器製作所から三条鍛冶道場へ行くと、すでに撤収作業が始まっていた。忙しいとはいえ体を使うような仕事はしていなかったので、ピンクのストライプが描かれた段ボール箱を崩す作業を手伝った。大学時代に大学も行かずにコンサートの機材搬入、搬出のアルバイトをやっていたので撤収作業はもえるし、若いころを思い出して結構、楽しい。
夜は気の置けないキネマ・カンテツ座でひとやすみ。すると大手出版社の休職制度を利用して全国を旅している男性と出会った。地方で既存の首都圏中心の発想とは異なる新しい価値観をもって主体的に行動する人たちを取材し、ブログで公開している。
そのときは気づかなかったが、3日はスノーピークのレセプションにも参加していた。また、燕市のディープなスポット、公楽園に泊まったという強者。ただし、何かが出てきそうでなかなか寝付けなかったと笑った。工場の祭典も楽しんでもらえたようだが、そのうえにカンテツ座の店主にハートをわしづかみにされていたようだ。
工場は数多く回れなかったものの、3年目となったことしの工場の祭典を運営委員会から見ていて最も感じたのは、実行委員会がイメージを共有できていたということ。これまでは手探りで工場の祭典が目指す方向性から具体的な各工場の開放の手法まですりあわせてきたが、今回はスムーズに進んだ。
象徴的なことのひとつが、工場の祭典のシンボルであるピンクの斜めのストライプ。ピンクは蛍光色でもあり、派手な色遣いに多くの人が抵抗感をもった。それがことしは批判的な声はすっかり影を潜めたばかりか、とくに年配の人に評判が悪かった斜めのストライプのTシャツを、ことしは誰もが喜んで着てくれるようになった。
外部の人からもTシャツがほしいという声を良く聞くようになった。以前から運営委員会では工場の祭典のグッズ展開を求める声があったものの、まずは工場の祭典というブランドをしっかり根付かせることが先といった理由から時期尚早と見送っていたが、そろそろ検討していいころかもしれない。
マルナオが初めて作業着のファッションショーも、イメージの共有から生まれたのだろう。工場の祭典では、これくらいは許容されるだろうと。工場の祭典の楽しみ方、遊び方を心得てきたように見える。
3年目にしてこれまでの試行錯誤から工場の祭典のひとつの形が完成した。これまで見学者がほとんどなかったために、ことしは参加を休んでほかの企業の見学に回った企業もある。来年からは体制も変わり、新しい段階の工場の祭典になるだろう。
一方で驚かされるのは見学者の熱いまなざしだ。しかもここにきて工場の祭典のファンから燕三条地域のファンに変わっている人も多くいた。燕三条地域のブランド力の向上に貢献している。工場の祭典以外でも燕三条地域への興味を持続させ、つなぎ止めておく取り組みにも期待したい。