弥彦の丘美術館では24日から12月20日まで小千谷市に住む日本画家、菊地美秋(よしあき)さん(79)の2回目の個展「菊地美秋 日本画展−花のいのち 輝くとき−」が開かれている。
60歳代半ばだった2000年前後を中心に79年から12年までに制作した19点を展示する。小千谷市に生まれ、青年期に隣接する魚沼で育った菊地さんの制作のテーマは、一貫して自然の山野。自然から受けた情感がずっと菊地さんが絵画に向かう衝動を突き動かし、草花に造形的な美の要素も見いだす。
作品には印象的な青と緑の間の寒色が多用されている。「群緑(ぐんろく)」と呼ぶ群青と緑青が混ざりあった岩絵具を使ったもの。「わたしの気持ちに合った色、好きな色」と菊地さんの作品には欠かすことのできない色で、朝露にぬれた草花の清涼感あふれた香りを漂わせるようだ。
「庭を雑草畑のようにしている」と菊地さん。「その花によってきれいな瞬間があることに気づいた。それは季節だったり、気温だったり。花が輝く生き生きと見える生命力の強いところにひかれていった」。
積極的に背景に、にじみを使った作品が多い。にじみ具合はコントロールすることはできない。作為からは生まれない偶然がもたらす効果が「日本人の感性に合っている」と菊地さんは言う。
菊地さんは小千谷市に生まれ、新潟大学教育学部芸能学科絵画部(日本画)を卒業。中学校の美術教諭を務め、県立近代美術館の前身、県民会館にあった県立美術博物館の館長も務めた。定年退職後は地元小千谷市を中心に美術の振興や後進の育成に努めている。
日本画を最も勉強したのは学生だった50年代。敗戦から数年後から海外の現代美術がどんどん日本に入ってきて、日本の美術界は激動の時期だったと振り返る。「かつては日展、院展ばかりだったが、在野の絵画が猛烈な勢いで台頭した」、「当時の日本画壇の美術界に影響されている」。
時代にほんろうされた。仕事が忙しかったこともあり、美術団体に所属したことはなかった。大学を卒業して数年後の加山又造が日本画を審査した県展で最高賞を受けた。東山魁夷が審査員だった年には奨励賞を受けた。菊地にさんにとっては「名誉なこと」で、菊地さんに自信を与え、その後の創作活動の励みになった。
県立美術博物館館長だった時代は、燕市の名誉市民でもあるグラフィックデザイナー亀倉雄策(1915-97)のことが最も印象に残っている。「亀倉さんとお付き合いがあり、日本のドンという感じで、スタッフもたくさんいて、すごい人だった」。県立美術博物館で亀倉の展覧会が開かれたとき、開会式で喜んでいる当時の君健男知事の前で「こんなボロの美術館で新潟県はだらしない」とあいさつしたと言う。
「それが火付け役となったのかどうか、新美術館の構想が生まれ、今の近代美術館につながった。国立西洋美術館の前川誠郎館長を近美の館長に迎えた」と少なからず亀倉の発言が近美の開館に影響を与えたと見ている。
菊地さんは、グループ展には参加していたが、個展は退職後間もなく旧越路町(今の長岡市)で開いて以来、今回で2回目。2年前に弥彦の丘美術館から依頼を受け、「わたしみたいな、怠け者にありがたい話」と引き受けた。
しかし、いざ準備にかかると「偉ぶっているみたいだし、精神的にきつかった」。個展に向かう考えを切り替えた。「わたしの絵をもとに皆さんが考えるようになる素材を提供していると、そう割り切ってしまえば思えば気が楽。同時にわたしの絵画人生みたいなものを感じてもらえれば」と来場を待っている。
31日、11月22日、12月5日の3回、いずれも午後2時から菊地さんが解説を行う。会期中は無休。毎日午前9時から午後4時半まで開館、入館料は高校生以上のおとな300円、小・中学生150円。問い合わせは同美術館(電話:0256-94-4875)へ。