燕市・吉田地区まちづくり協議会(浜田敏子会長)は、江戸時代初期に始まる今井家の住宅(吉田下町)の屋敷を見学するツアーを行った。10月14日から11月4日までに4日間、午前と午後の計8回に分けて行い、毎回10人以上が参加して人気だった。
今井家住宅の建物は昨年、4件が登録有形文化財に登録されたのを機に、ことし6月に13代当主の妻寿子さんと堀井麻未建造物保存・調査研究職員を招いて文化講演会を開いた。聴講した人たちから今井家を見学したいという声が多く上がったことから見学ツアーを企画した。
今も住宅として使っているので、ふだん内部は非公開。文化講演会の参加者を中心に参加を呼びかけて行った。
見学は建物のなかは主屋の土間だけで、それ以外は屋敷の屋外を歩き、建物を外部から見学した。最終日の4日は秋晴れで敷地内の木々は紅葉が盛りで絶好の見学日和に恵まれ、午前の回は16人が参加した。
屋敷裏手には西川が流れ、敷地はおよそ2,000坪、7,000平方メートルにもなる。洋館の旧今井銀行や「香林堂」として薬を製造販売していたころの薬工場を見学。登録有形文化財となった西洋館は庭から内部の3間続きの新座敷をのぞいた。
今井家は浅井家に使えた近江源氏の武士の出身で、1705年(宝永2)に没した菅田善五郎を初代にその歴史は300年余りにも及ぶ。主屋が最も古く江戸後期の建築なのをはじめ、明治時代の建築もあり、裕に100年を超す昔にタイムスリップしたような、映画のオープンセットに入ったような気持ちになってくる。
ガイドを務めた堀井さんは、「香林堂」の名称の由来を聞かれて「台湾を列車で走っていたらふわりと木のいい香りがし、香る林という言葉が頭に残っていた」と説明。また、刀傷が残る下屋の柱があったと話す参加者があり、堀井さんは1872年(慶応4)に打ちこわしに遭ったころのもので、平成になって車がぶつかって新しい柱に変えたと説明した。
参加者は地元の年配の人が中心で、「紅葉も天気も最高」と喜び、昔の姿を残す土間には「すっごい懐かしい」と近くて遠かった今井家の内部に足を踏み入れて目を輝かせていた。
新潟市芸術文化振興財団「旧小澤家住宅」(新潟市中央区)から岩崎敦朗学芸員とボランティア4人も参加した。21日からボランティアによる企画展として写真展「西川をめぐる」を開く。大河津分水から新潟市まで、西川を使った舟運で栄えた在郷町の歴史を写真で紹介する。今井家住宅を撮影した写真も展示することから下見に訪れた。
岩崎学芸員は、旧小澤家住宅は1880年(明治13)に焼失しており、主屋には「江戸時代からの町屋の特徴を良く残している」、「小澤家と比較すると柱が太い」と観察。「町ぐるみで今井家住宅を残していってくれればいいし、そういう気運が盛り上がれば」と願った。