燕市出身で弥彦村に住む書家、田中藍堂(本名・健二)さん(61)の書展「人間讃歌・人は皆生まれたときからスターだ」が20日から3月21日まで弥彦の丘美術館で開かれている。
藍堂さんは1954年に燕市に生まれ、77年から父の奎堂に書の指導を受け、翌78年から泉原寿石氏に師事。94年に県展賞を受け、翌95年に弥彦へ移住し、弥彦を拠点に活動を続ける。県展無鑑査、九藍社を主宰。地域の活動にも積極的に加わり、書家の枠を超えて村にとっては掛け替えのない存在となっている。
弥彦の丘美術館での個展は今回が初めて。12点を展示し、鑑賞の順路はふだんとは逆に反時計回りとしている。
初日20日は午前10時から会場でオープニングセレモニーを行い、40人近くが参列した。藍堂さんはあいさつで、著名な作家が個展を開いた同美術館で「わたしがやるとは、ゆめゆめ思わなかった」と謙そんした。
県展賞受賞作品は弥彦文化会館に寄贈したが、「今はそれと百八十度違う創作哲学をもっている」。「師匠や中央の団体とも15年前に離れ、試行錯誤しながら今日があるのも、新潟県の書道陣の懐の深さ、大きさにほかならない」、「忘れてならないのはこの弥彦の地に住んでいること」と作風まで影響を与えてくれた地元に感謝し、「これからも弥彦に住んで地元のために、地域のために、自分のために精いっぱいやっていく」と話した。
来賓の新潟県書道協会・丘山三槐(さんかい)理事長は祝辞で、さっきまで藍堂さんの作品を見た人から“うまい”という言葉は1回も聞かれず、“いいね”、“すごいね”という声が聞かれたことを指摘。「書は人なりで、人格、学問、教養、思想が根底になければ、陳腐な人が書いたものはいい書にならない」とし、藍堂さんの書は「技術だけではない、人格そのものを投影した作品である」と評した。
技術を“衣装”に例えて、「藍堂さんは衣装を着てない。裸なんです。裸の藍堂さんがここに出てる。そんな展覧会と拝見した」、「一般の人、書を学ぶ人たち、1カ月ほどいい勉強をさせてもらえるのでは」と期待。また、小林豊彦村長は「非常に心に残る、力強い印象を感じた」と話した。
さっそく藍堂さんは作品解説を行った。作品「娘が嫁ぐ日」は文字通り娘が嫁いだ日に書いた。ラグビーW杯で日本代表が南アフリカに歴史的な勝利を収めた日の午後から結婚式が行われた。結婚式前に書いた作品もあるが、あらためてその勝利の報道に接してから書いた作品で、「スクラムの選択」と大書し、下にその選択にかけて娘に贈る言葉をつづった。
期間中は毎日午後1時半から2時まで藍堂さんがギャラリートークを行う。会期中は無休、午前9時から午後4時半まで開館、入館料は高校生以上300円、小中学生150円。問い合わせは同美術館(0256-94-4875)へ。