東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故の影響で三条市に避難している人の有志でつくる「さんじょう∞ふくしま『結の会』」は5日、東日本大震災五周年追悼式典に続いて開いた交流事業で感謝状贈呈などを行い、これまでの多くの支援に感謝の気持ちを伝えた。
「結の会」は、福島から避難している有志と三条のボランティアなど支援者でつくり、毎年の追悼式典をはじめ、避難者同士また三条など地元住民との交流の活動などを行っている。
交流事業では、同会代表の佐竹紀さん(76)による「感謝の言葉」、「長きにわたりご支援いただいた方々への感謝状と記念品贈呈」として23の企業、個人、団体に感謝状を贈呈、「追悼演奏」として福島から避難している子どもたちもメンバーにいる三條太鼓三小相承会が太鼓演奏を行った。
佐竹代表は、「思い起こせば寒さ厳しいちょうど今頃、着の身着のままで三条市に避難してきた日がついきのうのよう」、「しかし5年という月日がたちました。三条市から準備していただいたランドセルを背負って入学した1年生が6年生になりますから、長い5年間が過ぎ去ったという重く厳しい現実があります」と話した。
さらに、三条市に避難していた人の数は、最多で800人を超え、今もなお56戸125人が三条市で生活する。「そのときどきに、三条市をはじめ、たくさんの方々から言葉にできないほどのものと心のご支援をいただいてきました。おかげをもちまして、今も変わることなく平穏な生活を送らせていただいております」として、感謝の言葉を述べた。
感謝状の贈呈は、国定勇人三条市長やランドセルの手配と毎年の正月用品などを届けてくれていた兵庫県豊岡市の中貝宗治市長をはじめ、三条や豊岡の企業や団体などに感謝状と三条産のかんなで作った記念品を贈った。
佐竹代表はこの日、車いすで出席した。ことし1月13日に脳梗塞で右上半身が不自由になり、入院。2月23日に手術を受け、回復に向かっているものの入院を続けているう。この日の追悼式典にはなんとしても出席し、感謝の気持ちを伝えたいと、リハビリを懸命に行った。動かなかった右手もはしが使えるほどになり、その後、3月10日に退院した。
また、東日本大震災からちょうど5年の11日には、交流ルーム「ひばり」で「東日本大震災献花式」を行う。午後1時40分から三条市立保内小学校5年生が歌の発表などをして、避難者から震災当時の話を聴き、午後2時46分に黙とうを行う。午前10時から午後3時まで献花が行えるようにしている。